03 | 2013/04 | 05
-
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
プロフィール

リングテール

Author:リングテール

福島原発事故による放射能汚染から
子供を守る為、安定的な生活を捨て
東京から福岡県へ移住!
たくさんの人たちと少しでも
真実に近い情報を共有したいので
より良く生きる(LIVE)ための
ノート(NOTE)を作成します
デスノートの逆バージョンです!

最新記事

PR

PR

訪問者数

月別アーカイブ

カテゴリ

FC2ブログランキング



検索フォーム

リンク

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR

スポンサーサイト

--.--.-- --:--|スポンサー広告
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

東京都新宿区百人町の放射性降下物の数値が上昇

2013.04.30 12:50|原発・放射能・原子力
東京都新宿区百人町の放射性降下物の数値が上昇



東京都健康安全研究センター

1か月毎の降下物の放射能調査結果
http://monitoring.tokyo-eiken.go.jp/mon_fallout_data_1month.html

Baidu IME_2013-4-29_10-15-43



大幅に上昇しています。

大丈夫でしょうか東京は・・・心配です。

マスクなどの対策をしてほしいですね 特に子供たちは






  


スポンサーサイト

テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

東京都23区のゴミ焼却灰等の放射能濃度測定結果

2013.04.30 12:40|原発・放射能・原子力
東京都23区のゴミ焼却灰等の放射能濃度測定結果



焼却灰等の放射能濃度測定結果(3月21日~4月8日採取分)(PDF:173KB)
http://www.union.tokyo23-seisou.lg.jp/gijutsu/kankyo/kumiai/oshirase/hoshano/documents/shoukyakubai_250422.pdf

Baidu IME_2013-4-29_18-3-48



いつまで放射性物質が出続けるのでしょうか・・・

責任をとってもらいたいものです

とりあえず被爆に対する防衛が必要ですね






  




テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

【放射能】福島市内への「定時降下物」からセシウム100.4ベクレル/平米

2013.04.30 12:35|原発・放射能・原子力
低気温のエクスタシーbyはなゆーさんより転載


【放射能】福島市内への「定時降下物」からセシウム100.4ベクレル/平米



910 名前:地震雷火事名無し(dion軍)
投稿日:2013/04/29(月) 15:59:59.33 ID:pHH38ggD0

● 福島市の定時降下物から100.4ベクレル/平米のセシウム

4月27日9時~4月28日9時
(注:PDF)
http://wwwcms.pref.fukushima.jp/download/1/koukabutsu488.pdf

南東風で放射能が直撃か?



92 名前:地震雷火事名無し(dion軍)
投稿日:2013/04/29(月) 17:55:10.01 ID:pHH38ggD0
福島市
昨日の定時降下物   セシウム100.4ベクレル/平米
大根を干したら、1日でアウトだなw


94 名前:地震雷火事名無し(dion軍)
投稿日:2013/04/29(月) 17:56:39.73 ID:pHH38ggD0
1日に100ベクレル/平米も降ってくるようでは、除染などしても無駄






  

テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

味噌から放射能が検出され始めて来ている

2013.04.30 12:30|原発・放射能・原子力
放射能関連ニュースメモさんより転載


味噌から放射能が検出され始めて来ている



20130426-02.jpg


~FBでのシェアが多かったのでUPしておきます~

★味噌から放射能が検出され始めて来ておりますのでご注意ください。

そろそろ出回りそうだなと思って…
2013年3月に遠☆ストアで売っていた宮城県産の味噌は、Cs合算で 6.18Bq/kg でした。
(尚、メーカー名は伏せておきます。 これは製品になる時間の問題でメーカー名はあまり意味が無いとも思っています。)

【解説】
311で直接被曝した作物は、出荷制限が掛かったもの以外はみんなで食べてしまいましたが、当時加工品に回ったものが製品として出始めているということです。
今後、醤油や酒などありとあらゆるモノに検出されて来ることが予想されます。
取り急ぎご連絡まで…。

※詳細につきましては…『安心食材データベース』 をご覧頂ければ幸いです。
http://www.kon-tida.net/

【注意事項】 
当測定結果は…日常生活において放射能汚染から自らの身を守るために作成したもので、メーカーや生産者を非難したり糾弾するためのものではありません。 尚、放射能の数値というものは、同じ検体を何回計測しても出て来る値は全て違いますので、あくまでも参考程度に考えて頂きます様にお願いします。
※測定結果の扱いにつきましてはメーカーや生産者、行政機関などの結果と比較し、ご自身で検討し判断されるべきであることをご理解ください。






  


テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

【緊急】がれき広域処理【疑獄事件】驚愕のレポート!

2013.04.30 12:20|原発・放射能・原子力
【緊急】がれき広域処理【疑獄事件】驚愕のレポート!





座間宮 ガレイ

公開日: 2012/10/19

座間宮の取材活動を助けてくれる人は以下のAmazonのリンクからお買い物していた­だけると嬉しいです。 http://goo.gl/Db0CZ

ブログ http://blog.livedoor.jp/amenohimohare...
ブログ2 http://blog.livedoor.jp/blognokotsu/
ざまあみやがれい!ツイッター https://twitter.com/zamamiyagarei
ざまあみやがれい!Facebook http://www.facebook.com/zamamiyagarei

青木泰さんが作成したレポートを読み、疑獄事件と読んでも良いほどの、がれき広域処理­という被災地ビジネスの実態について暴きます。






  


テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

"核のゴミ"はどこへ ~検証・使用済み核燃料~

2013.04.30 12:19|原発・放射能・原子力
"核のゴミ"はどこへ ~検証・使用済み核燃料~




"核のゴミ"はどこへ ~検証・使用済み核燃料~ 投稿者 tvpickup

NHKスペシャル 2013.2.10。

3つの建屋が爆発した、福島第一原子力発電所の事故。原子炉とともに危機的な状況に陥ったのが、莫大な放射能を持つ使用済み核燃料の貯蔵プールだった。原子炉の稼働によって生じる使用済み核燃料は、全国の原発などに貯蔵され、その量は1万7千トンに達している。国が、使用済み核燃料を資源として貯蔵・再利用する、核燃料サイクルを推進してきたためだ。しかし、サイクルの要となる青森県六ヶ所村再処理工場は、トラブルの連続で操業開始を延期し続け、高速増殖炉「もんじゅ」も、1995年の事故以来、ほとんど動いていない。さらに、再処理に伴って生じる高レベル放射性廃棄物を埋設処分する場所も決まっていない。国は、3兆円近い経済効果をうたってきたが、唯一名乗りを挙げた高知県東洋町では、激しい反対運動が起こり挫折。原発事故後、さらに状況は厳しくなっている。こうした中、去年末に誕生した自公・安倍政権は、「前政権下の原発ゼロ政策の見直し」「核燃料サイクルの継続」を表明。使用済み核燃料、高レベル放射性廃棄物が再び大量に増え続ける懸念が出てきている。もはや、使用済み核燃料や廃棄物から目を背けることはできない私たちの社会。重い課題と向き合う、世界各国の事例も交えて伝え、次世代に負担を先送りしない方策を探る。






テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

調査報道 最終処分場 立地交渉の舞台裏

2013.04.30 12:18|原発・放射能・原子力
調査報道 最終処分場 立地交渉の舞台裏



調査報道 最終処分場 立地交渉の舞台裏 投稿者 tvpickup


MBS毎日放送・報道特集 2013.4.27.

一昨日・昨日と続いた同局 NEWS23のスクープ報道を受けた特集。
重なる部分もあるが、鍵を握る人物=X氏について、より掘り下げている。






テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

「原発関連施設を誘致」 前代未聞の南大隅町長委任状(2)

2013.04.30 12:17|原発・放射能・原子力
「原発関連施設を誘致」 前代未聞の南大隅町長委任状(2)



「原発関連施設を誘致」 前代未聞の南大隅町長委... 投稿者 tvpickup


MBS毎日放送 NEWS23 2013.4.25.

この番組が追いかけてきたスクープ。
鹿児島県の南大隅町の町長が、あらゆる原発関連施設の誘致などについて、ある人物に一任するという委任状を書いていた。それも期限を切らずに。
番組ではその委任状を入手し、町長の署名が本物であるかどうかを鑑定したり、民主党政権時の細野や仙石と町長との水面下での接触を追いかけ、町長に証拠品をつきつけて迫ると、最初のうちはシラをきっていた町長も最後には認めざるを得なくなる。






テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

「原発関連施設を誘致」 前代未聞の南大隅町長委任状(1)

2013.04.30 12:16|原発・放射能・原子力
「原発関連施設を誘致」 前代未聞の南大隅町長委任状(1)




「原発関連施設を誘致」 前代未聞の南大隅町長委... 投稿者 tvpickup


MBS毎日放送 NEWS23 2013.4.24.

この番組が追いかけてきたスクープ。
鹿児島県の南大隅町の町長が、あらゆる原発関連施設の誘致などについて、ある人物に一任するという委任状を書いていた。それも期限を切らずに。
番組ではその委任状を入手し、町長の署名が本物であるかどうかを鑑定したり、民主党政権時の細野や仙石と町長との水面下での接触を追いかけ、町長に証拠品をつきつけて迫ると、最初のうちはシラをきっていた町長も最後には認めざるを得なくなる。






テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

Gyao(ギャオ)で「チェルノブイリ・ハート」を無料配信中

2013.04.30 12:15|原発・放射能・原子力
低気温のエクスタシーbyはなゆーさんより転載


Gyao(ギャオ)で「チェルノブイリ・ハート」を無料配信中



5月25日まで配信。

http://gyao.yahoo.co.jp/player/00908/v12264/v1000000000000000644/

事故から25年……まだ終わっていない。2003年度のアカデミー賞短編ドキュメンタリー賞受賞作品。


【あらすじ】
1986年4月26日 チェルノブイリ原発事故発生。大量に撒き散らされた放射能は、当時生まれた子供たちにたくさんの災いを及ぼした。事故から16年後の2002年、ベラルーシ共和国を取材。放射線の影響で心臓に重度の障害を持った子どもたち、彼らを「チェルノブイリ・ハート」と呼ぶ。
(2003年/アメリカ)








テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

【驚愕の事実】日本政府は国民を欺き核兵器開発を着々と進めていた。そして原発事故後は国民の命を見捨てた。 new!!

2013.04.30 12:02|原発・放射能・原子力
原発問題さんより転載


【驚愕の事実】日本政府は国民を欺き核兵器開発を着々と進めていた。そして原発事故後は国民の命を見捨てた。


アメリカは法の抜け道を使って日本が何トンものプルトニウムを蓄積することを助けた
ジョセフ・トレント(Joseph Trento)、2012年4月9日
国家安全保障通信社(National Security News Service: NSNS)
United States Circumvented Laws To Help Japan Accumulate Tons of Plutonium
http://www.dcbureau.org/201204097128/national-security-news-service/united-states-circumvented-laws-to-help-japan-accumulate-tons-of-plutonium.html

アメリカ合衆国は意図的に、日本がアメリカの最高機密である核兵器製造施設に立ち入ることを許し、何百億ドル(数兆円)もの税金を投じたアメリカの研究成果を日本に横流しして、日本が1980年代以降70トンの核兵器級プルトニウムを蓄積することを可能にしたことを、米国の国家安全保障問題専門通信社の国家安全保障通信社(NSNS)の調査が明らかにした。日本で核兵器製造計画に転用される可能性のある機密核物質の管理に関して、これらの動きは繰り返し米国の法律に違反した。CIAの報告書により、日本で1960年代から秘密の核兵器計画があることをアメリカ合衆国は察知していたことが、NSNSの調査で判明した。



 アメリカの機密技術の横流しは、レーガン政権下、百億ドルの原子炉を中国に輸出することを許可した後から始まった。日本は、機密技術が潜在的な核戦争の敵国に売却されようとしているとして抗議した。レーガン政権とジョージ・H・W・ブッシュ(父ブッシュ)政権は、このような譲渡を禁じる法律や条約があるにもかかわらず、機密技術と核物質が日本に移転されるのを黙認した。米国エネルギー省のサバンナ・リバー・サイトとハンフォード核兵器工場群でのプルトニウム分離に関する高度な機密技術は、何百億ドルもの価値を持つ増殖炉の研究成果とともに、核拡散に対する歯止めがほとんど無いまま日本に引き渡された。この移転プロセスの一環として、日本の科学者と技術者たちはハンフォードとサバンナ・リバーの両施設へ立ち入りを許された。

 日本が核兵器の配備を自粛し、アメリカの核の傘の下にとどまっている間にも、中国とインド、パキスタンを合わせたより大量の核兵器システムを作るのに十分な核物質を蓄積できるように、日本は電力会社を隠れ蓑として使っていたことが、NSNSの調査で分かった。

 アメリカ合衆国によるこの意図的な核拡散は、従来の核兵器保有国が条約や国際法に反して核拡散に加担しているという、イランのような国による主張に油を注いでいる。アメリカ合衆国とともに、ロシア、フランス、イギリスは、世界中で核兵器工場から民間原子力産業を作り、それらを国有あるいは国の補助を受けた産業にした。イスラエルは、日本と同様に大口の顧客であると共に、こちらも日本と同様、1960年代から核兵器製造能力を有している。

 一年前、自然災害と人災が組み合わさって日本北部で多くの人が犠牲になり、3千万都市の東京が居住不能になる寸前となった。日本の近代史には核災害が何度も爪痕を残している。日本は核兵器で攻撃された世界で唯一の国である。2011年3月に津波が襲来した後、福島第一原子力発電所での水素爆発とそれに続く原子炉3基のメルトダウンで、地域全体に放射能がまき散らされた。広島と長崎に投下された爆弾と同じように、日本は何世代にもわたってその影響と向き合っていかねばならない。原発の20キロ圏内は居住不能と見なされている。ここは国家の犠牲となった地区である。



 日本がどのように核の悪夢に至ったかは、NSNSが1991年から調査しているテーマである。日本の原子力計画には二重の目的があったことを我々NSNSは知った。表向きは日本に無限のエネルギー源を開発し供給するというものであった。しかしこれには裏があって、日本が十分な核物質と核技術を蓄積し、短期間で核兵器大国になることを可能にする、非公認の核兵器計画だった。

 この秘密の活動は、原子力計画の裏に隠される一方、地震と津波が福島第一原発を襲った2011年3月11日の時点で、70トンのプルトニウムを蓄積してきた。民間原子力を秘密の原爆計画を隠すために利用したのと同じように、日本は平和的宇宙探査計画を、高性能の核兵器運搬手段を開発するための隠れ蓑にした。

 原子力が生活の中に入ってくることを日本国民に納得させる唯一の方法は、歴代の政府と産業が一切の軍事利用を隠しておくことであると、日本の政治指導者たちは理解していた。この理由により、日本の歴代政府は結託して、原爆計画を無害なエネルギー計画と民間宇宙計画で偽装してきた。言うまでもなく、1941年に日本は将来のエネルギーを確保するため戦争を始めたのに、皮肉なことに核兵器で攻撃された唯一の国になっただけだった。



 エネルギー問題は常に日本のアキレス腱であった。アメリカの禁輸政策の前に、日本は石油を必要としたことから真珠湾攻撃に突き進み、その後も慢性的に続いた石油不足が敗戦の中心的問題だった。原子爆弾を誕生させた核分裂がなければ、日本の屈辱は無かったかもしれない。このとき日本は同じ原子を自国のために使おうとしていた。次の世紀にわたって安定的エネルギー源を確保するため、そして同じく重要なことに、祖国が二度と敗戦の辱めを受けないために。

 日本は、電子産業や自動車産業を振興したのと同じ方法で、原子力の問題に取り組んだ。中心となる企業グループに長期的利益の望める主要課題が割り振られた。そして政府は、課題達成に必要とあれば、いかなる経済的・技術的・制度的な支援をも投入して、これらの企業を育成した。この戦略は輝かしい成功を収め、日本は戦後に忘却された国から経済大国へと、わずか一世代の間に引き上げられた。

 1950年代、米国ドワイト・アイゼンハワー大統領の「平和のための原子力」計画の下にあった日本では、軽水炉が定番となっていた。原子力技術開発を任された5社には、この従来型の軽水炉から大きく飛躍することが求められた。日本はアメリカ人やヨーロッパ人が失敗したことに挑戦しなければならない。それは実験的な増殖炉を経済的に成功させることであった。自惚れから、彼らはそれが可能であると確信してしまった。何といっても日本人はモノづくりの名人なのだから。日本人はアメリカ製よりも優れた自動車、テレビ、半導体を、より高品質・低コストで作り出してきた。原子力事故はほとんど全てヒューマン・エラーの結果である。適切な教育訓練を施されていない怠惰な操作員や、バックアップを設置しなかった人のせいだ。このようなことはアメリカ人やロシア人には起こるかも知れないが、日本人には起こらないのだ。



 中国、北朝鮮、インド、パキスタンが核兵器を開発したとき、日本と西側同盟諸国は、芽生えつつある脅威に対処するため結束を強めた。1960年代に行われたアメリカ大統領リンドン・ジョンソンと日本の佐藤栄作首相、その後何代かの日米指導者たちが参加した秘密会談の後、核技術を秘密裏に移転することは、いっそう激化しつつあった東アジアの軍拡競争に対抗して、日本を強化する国際戦略の一環であった。この政策は、レーガン政権がアメリカの政策を劇的に変化させた法律を制定したことで頂点に達した。アメリカ合衆国は、日本に送られるアメリカ起源の核物質に対するほぼ全ての規制を放棄した。

 日本政府は、広く知られている日本人の核兵器に対する憎悪を、メディアや歴史学者に政府の核兵器活動を詮索させないために利用した。これは世界と人民に対する損害だった。その結果、2011年3月の惨事に至るまで、日本の原子力産業はほとんど批判の目に曝されることがなかった。およそ徹底しているとは言い難い国際原子力機関(IAEA)もまた、世界的な核拡散の監視機関であるにもかかわらず、見て見ぬふりをしてきた。

 我々NSNSの調査は、何十年にもわたって最高機密であり続けてきた日本の原子力産業を垣間見て、日本と西側諸国の核政策とこの政策を冷戦下とその後の世界で形成した官僚たちに関して、重大な問題を提起する。国際企業と官僚たちは、この欺瞞を遂行するために、国民の安全と国家安全保障を犠牲にした。平和的原子力計画の隠れ蓑の下で、かれらは巨大な利益を上げた。


 1940年代初頭、世界が人類史上最も血生臭い戦いで手一杯になっていたとき、ドイツ、イギリス、アメリカ合衆国、日本の科学者たちは、想像も及ばない力を持った兵器を、原子の中から解き放つことに取り組んでいた。理論を破壊的な現実に変えるこの競争は、工業力戦争を使って何百万人もの命を奪ったこの戦争のサブテキスト(いわゆる行間の表現)を形成した。理論物理学の領域では、日本はヨーロッパとアメリカのライバルに対してリードしていた。日本はただ、原材料と、それを原子爆弾に変える工業力の余力が無かっただけだった。しかし日本の国家軍事力は極めて才能ある人材に恵まれていた。


 1940年以降、日本人は核分裂連鎖反応の科学を積極的に研究してきた。仁科芳雄博士は、彼の戦前の原子核物理の研究に対してノーベル賞に推薦されていた。このとき彼と若い科学者のチームは理化学研究所(理研)で、アメリカ人を原子爆弾で倒すため精力的に研究していた。2年間の予備的研究の後、F号と呼ばれた原子爆弾計画が1942年に京都で開始された。(訳注:理研・仁科の「ニ号研究」、海軍・京都帝大の「F研究」が混同されている。)1943年の時点で、日本版のマンハッタン計画は原爆級ウランを分離できるサイクロトロンを作り出しただけでなく、原子の知られざる力を解き放つ知識を持った核科学者のチームをも生み出した。アメリカがワシントン州の砂漠に建設したウラン濃縮工場は、あまりの巨大さのためグランドクーリーダムで発電された電力を全部吸い取ってしまうほどだった。そのころ日本人は爆弾を作るのに十分な原料ウランを求めて帝国中を探し回ったが、成果はほとんど無かった。

 日本はナチス・ドイツに助けを求めた。ナチスもまた原子爆弾を追い求めていた。しかし、1945年初頭の時点で連合国はライン川に到達しロシアはプロイセン地方を占領していた。窮余の一策として、ヒトラーは1200ポンド(544 kg)のウランを載せたUボートを日本に派遣した。この潜水艦が到着することはなかった。1945年5月にアメリカの軍艦がこれを拿捕した。潜水艦に乗船していた2名の日本人士官は自殺し、積み荷のウランはテネシー州オークリッジに運ばれ、アメリカのマンハッタン計画のために使われた。このウランが無くては、うまくいっても日本は1つか2つの小さな原子爆弾しか作れなかったであろう。

 両国の原爆計画が完成に近づいた1944年、ダグラス・マッカーサー将軍のアイランド・ホッピング(飛び石)作戦は日本本土に迫っていた。B-29爆撃機の編隊が東京や他の大都市に焼夷弾の雨を降らせた。仁科は研究所を現在の北朝鮮にある興南(フンナム)という小さな村に移さざるを得なかった。この移動のため、日本の原爆研究は3ヶ月を失った。

 1945年8月6日、エノラ・ゲイが1発の原子爆弾を広島上空で投下した。その爆発は7万の人々を即座に死に至らしめ、その後数日から数週間でさらに数千人が亡くなった。

 仁科に爆発の知らせが伝えられたとき、彼は直ちにアメリカ人にノーベル賞を奪われたことを悟った。しかし仁科は、彼自身の原子爆弾もまた成功するという暗黙の確証を得た。仁科と彼のチームは原爆実験の準備を整えるべく精力的に働いた。ロバート・ウィルコックスのような歴史学者や、アトランタ・ジャーナル・コンスティチューション紙の記者であるデヴィッド・スネルは、仁科のチームが核実験に成功したと確信している。1945年8月12日、長崎原爆投下の3日後、日本がポツダム宣言受諾を発表する3日前、日本は興南で原爆を実験し、部分的な成功を収めたと、ウィルコックスは書いている。そのときまでは、仁科の研究は象徴的なものに過ぎなかった。ただ日本には、これに続く爆弾を生産する手段と、アメリカ合衆国へ正確に運搬する手段が欠けていた。

 日本が戦後復興を遂げているとき、広島と長崎への原子爆弾投下は、日本人に対するアメリカの非人道性と並んで、日本の帝国主義がもたらした愚挙を象徴するものとなっていた。日本人は核兵器を憎悪した。日本の指導者たちはこの見方に同意したが、核攻撃を受けた側だったことから、原爆の戦略的価値への特別な評価も生まれてきた。

 第二次大戦が終わったとき、何千人ものアメリカの兵士が日本を占領した。日本への核攻撃の後、アメリカ合衆国は核の力を作り出す欲求と能力が世界中に広がって行くことを恐れた。ワシントンがこのとき知ったのは、日本が自力で原子爆弾を作るところまで、以前に考えられていたよりずっと接近していたということだった。日本の核兵器製造能力を破壊することは優先事項になった。国際的な核不拡散を合意する交渉の他にも、アメリカの占領軍はサイクロトロンなどの日本の原子爆弾計画の痕跡を破壊し、日本が核兵器計画を再開できないようにした。占領軍はF号計画の物理的な遺物を壊すことは出来たかもしれないが、仁科と彼のチームが戦争中に蓄積した膨大な知識の集積を破壊することは出来なかった。


 その後、F号の背後にいた人々は、日本の原子力計画の指導者になった。彼らが最も優先したのは、日本で原子核研究が継続できるために十分なウランを蓄積することだった。

 戦争とそれを終わらせた原爆は、強烈な印象を日本人に残し、それは根強いものとなった。日本人は広島と長崎の破壊を憎悪した。しかし日本の指導者層は、原子力が海外エネルギー依存への代替策になると認識した。エネルギーの海外依存は、工業時代に入って以来、日本の足かせになってきた。

 日本の降伏で、アメリカ合衆国は太平洋での卓越した勢力となった。しかし、1949年に中国で共産党が勝利し、ソビエト連邦による核実験が成功すると、アメリカの地位は脅かされた。共産主義国は太平洋でアメリカに挑戦し、日本は突如として、敗れた敵国から価値ある同盟国へと転じることになった。

 北朝鮮軍が1952年に南へ押し寄せてきたとき、アメリカは全く不意を突かれた。間もなく、軍備と訓練が不十分なアメリカ海兵隊は釜山で包囲され海まで追い詰められた。このとき初めてアメリカ軍司令官ダグラス・マッカーサー将軍は、トルーマン大統領に核兵器の使用を進言し、これは朝鮮戦争の間に何度も繰り返された。

 その核兵器は日本の沖縄に貯蔵された。アメリカ軍が釜山で全滅の危機に瀕しているとき、アメリカのB-29は中国と朝鮮半島の目標を爆撃するためエンジンを回して待機していた。その後の朝鮮戦争で、中国軍が朝鮮半島に侵攻したとき、日本から飛んだ核兵器搭載の爆撃機が実際に中国と北朝鮮の空域に侵入した。ジェット戦闘爆撃機が1機撃墜された。

 朝鮮戦争は日本にとって重要な一里塚となった。日本は3千年の歴史で最も屈辱的な敗戦からわずか7年後に、またしても日本を打ち負かしたのと同じ軍隊の舞台になったのだった。当時、日本には自前の軍隊は無いも同然だった。東京の売春宿に足繁く通ってくるアメリカ軍人と同じくらい屈辱的だったのは、日本の国防は完全にアメリカの手の内にあるという認識だった。トルーマンが中国と核の瀬戸際政策を繰り広げていたとき、第二次世界大戦の敗戦を決定づけたのと同じ原子爆弾に、日本の国防は依存していることが明らかとなった。



 1950年代の初頭、アメリカ合衆国は、日本が原子力ビジネスに加わるよう積極的に促していた。核エネルギーの破壊力を目撃したアイゼンハワー大統領は、それを厳しい管理の下に置くことを心に決めていた。核分裂の技術をアメリカが完全に独占することを世界は容認しないであろうことも、彼は認識していたので、彼は代替案を提示した。「平和のための原子力」である。アイゼンハワーは、日本やインドのように資源の乏しい国々に、技術的、経済的、道義的支援の形で原子炉を供与した。日本は経済とインフラを再建するための国内資源が不足していた。このため、慢性的なエネルギー不足に陥っていた経済への解決策として、日本はすぐに原子力に向かった。

 アメリカの「平和のための原子力」計画に乗って、日本は本格的な原子力産業の立ち上げを開始した。何十人もの日本の科学者を、核エネルギー開発のトレーニングを受けるためにアメリカに派遣した。国際政治の舞台で足場を築き、戦後の主権と国力を回復することを切望した日本政府は、進んで乏しい資金を研究施設と原子炉に注ぎ込んだ。

 戦争での経験から、日本は原子力産業をゼロから作る準備をしてきたが、「平和のための原子力」の助けを借りれば、完成した原子炉を西側諸国から輸入する方が安く上がった。

 「平和のための原子力」では、アメリカと並んでイギリスとカナダの核技術も輸出の対象になった。イギリスが先行し、マグノックス炉を日本に販売した。GEとウェスティングハウスは急速に残りの業界を押さえ、原子炉の設計図と部品を日本に途方もない値段で売った。日本の産業はすぐに他の「平和のための原子力」締約国のモデルとなった。才能に溢れた若い世代の日本の科学者たちは、この時期に働き盛りの年齢に達し、全員が核エネルギーを完全に利用することに傾倒していた。

 原子力産業が活性化されると、日本はアメリカ合衆国から独立した自前の原子核研究に戻った。アメリカ人に鼓舞されて、1956年に日本の官僚たちは完全な核燃料サイクルを利用する計画を描いた。当時、この概念は理論的なものでしかなく、それは1939年にアインシュタインが悪名高い手紙をルーズベルト大統領に書き送った当時の原子爆弾の考えよりも、現実からは遠いものであった。理論によれば、プルトニウムは従来の原子炉で燃やされた使用済み燃料から分離され、新しい「増殖炉」で使うことが出来る。それに成功した者はまだ誰もいなかったが、これは技術時代の夜明けであった。日本、アメリカ、ヨーロッパの科学者たちは、科学的進歩の可能性に夢中になっていた。日本の中央官僚と計画立案者たちは同様に熱心だった。増殖炉計画は、日本がアメリカ合衆国から輸入したウラン原料の最も効率的な利用を可能にする。これがあれば、日本がアメリカ産エネルギーへの依存から脱却し、最も強力で入手が困難な爆弾材料であるプルトニウムの膨大な備蓄を作り出すこともできる。


 1964年の10月に、中国共産党は初の原子爆弾を起爆させて世界を驚愕させた。世界は驚きにとらわれたが、日本ほど強い感情が巻き起こった国は他になかった。3ヶ月後、日本の佐藤栄作首相はリンドン・ジョンソン大統領との秘密会談のためにワシントンに行った。佐藤はジョンソン大統領に思いもよらない最後通牒を伝えた。もしアメリカ合衆国が核攻撃に対する日本の安全を保障しないなら、日本は核兵器システムを開発する。この最後通牒で、ジョンソン大統領は日本にかざしたアメリカの「核の傘」を拡大させることを余儀なくされた。
 皮肉にもこの保証は、後に佐藤が、核兵器を持たず、作らず、日本の領土に持ち込ませないという非核三原則を打ち立てることを可能にした。この政策により佐藤はノーベル賞平和賞を授与された。日本人と世界中の人々には、この三原則がけっして完全に実施されることはなかったとは知る由もなく、佐藤は秘密の核兵器計画を進めさせた。

 その後の数年で、何千発ものアメリカの核兵器が日本の港と在日米軍基地を通過していった。佐藤のジョンソン大統領との歴史的会談の前でさえ、アメリカの核兵器が日本に貯蔵されることを日本は公式には無視することに、密かに同意した。日本政府の官僚は一切を紙に書き記さなかったという点で抜け目がなかったが、東京駐在のアメリカ大使エドウィン・O・ライシャワーは、この密約を1981年の新聞でのインタビューで明らかにした。1960年に日本政府は、核武装したアメリカの軍艦が日本の港と領海に入ることに、口頭で同意していた。ワシントン駐在元日本大使の下田武三を含む、現職または引退した何人かのアメリカと日本の官僚たちは、ライシャワー大使の解釈を確認している。

 1980年代にこれらの問題について質問された時、日本政府はそのような理解があることを頭から否定し、条約の条件にアメリカ合衆国とは異なる解釈があるなどとは「思いもよらない」と言った。それでもなお、鈴木善幸首相が外務省に命令して事実を調査させた後、この密約の文書による記録は発見できなかったと言うのが精一杯だった。

 機密が解除されたアメリカ政府文書を見れば、非核三原則は嘲笑の的である。これらの文書は、アメリカ合衆国が日常的に核兵器を日本の港に持ち込んでいた証拠を、日本政府高官が無視したことを明らかにした。アメリカの軍事計画立案者は日本の沈黙を、核兵器を日本の港湾に持ち込むための暗黙の許可と受け取った。何十年にも渡って横浜を母港とするアメリカの航空母艦キティ・ホークは、日常的に小型の核兵器を運搬していた。

 日本はアメリカ軍が核兵器の使用を模擬する合同軍事演習に参加しさえもした。暴露された内容は、日本政府の表向きの政策と核兵器に関する行動の間の分裂を、はっきりと示している。

 1970年代初頭の日本での中心的論争の一つは、核不拡散条約に参加すべきかどうかというものであった。この条約は核兵器保有の現状を基本的に凍結する。5つの核兵器保有国は現在の核兵器を保持するが、その他の国々は核兵器を放棄することを誓った。100ヶ国以上がこの条約に署名した。特筆すべき例外は、核の選択肢を残しておきたいインド、パキスタン、イスラエル、日本であった。この議論は、日本でのこれらの問題に関する判断と同じく、公開の場では行われなかった。しかし、アメリカ人はこの議論を聞いていて、彼らが聞いたことは、日本の核兵器への野心に全く新しい光を当てた。

 中曽根康弘は日本の防衛庁長官であった経歴を持ち、新しい世代の原子力推進政治家の一人であった。彼は即時の核武装に賛成しなかったが、日本が将来核兵器を開発する権利を制約するいかなる動きにも、彼は反対した。中曽根は1969年の外交政策大綱の中心的執筆者の一人で、国家安全保障に関する章では「当面核兵器は保有しない政策はとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともに、これに対する掣肘を受けないように配慮する」と書いている。

 6年後、中曽根は再び核兵器論争に巻き込まれた。この論争にかかっていたものは、日本の核兵器保有の能力と、日本の政治で最大の褒美である首相の椅子だった。中曽根は、外面上は核不拡散条約を支持することで首相への道を確かなものにした。日本の協力への対価は、核兵器用に理想的な材料と技術が絡んでいるときでさえ、日本の核計画には干渉しないという、ジェラルド・フォード大統領の約束であった。フォードの確約によって、1976年に日本はついに核不拡散条約を批准した。日本の核物質取引は衰えることなく続いた。アメリカ合衆国は、引き続き濃縮ウランを日本の原子炉に供給し、使用済み燃料がヨーロッパで再処理され、プルトニウムが日本に返還され、将来の増殖炉で使うために貯蔵されることを容認した。



 1976年にジミー・カーターが大統領選に勝利した後、彼は核分裂性物質の拡散を管理する積極的な政策を策定した。海軍原子力潜水艦の元原子炉技術者として、カーターは、プルトニウムと高濃縮ウランに閉じ込められている莫大な力のことを、世界中のどの指導者よりもよく知っていた。彼は、日本を含む最も親しい非核同盟国にさえも、これらの核物質を渡さないと決意していた。

 カーターのこの政策にはもっともな理由があった。1976年に日本が核不拡散条約を批准したにもかかわらず、翌年にCIAのために行った研究では、1980年の時点で核兵器を保有する可能性が最も高い3ヶ国の一つに日本を挙げた。核兵器に対する日本人の歴史的反対だけが、日本の核兵器配備に反対する主張となっていた。その他の全ての要因は、日本の核軍備能力を支持する主張をしていた。この時点で、CIAとその秘密の姉妹機関であった国家安全保障局(NSA)は、日本の中枢権力の立場を知っていた。

 カーターは、プルトニウムが世界の安定に及ぼす信じられないほど不安定な影響を知っていた。プルトニウムは唯一最も入手困難な原子爆弾の材料である。比較的遅れた国や、一部のテロ組織でさえ、今ではプルトニウムや高濃縮ウランから核兵器を作る技術を持っている。しかしプルトニウムの精製やウランの濃縮は極めて困難でコストがかかる作業である。カーターは、プルトニウムとウランの拡散を制限することで、核兵器の拡散を管理できることを知っていた。彼はプルトニウムの拡散防止を核不拡散政策の基本理念に据えた。

 カーターが政権に就いてすぐ、1978年の核不拡散法を議会で成立させたとき、日本人は驚いた。この結果、全てのウランとプルトニウムの輸送に議会の承認を求め、多くの機密核技術を日本から遮断することになるからである。カーターは、日本が核兵器製造に使う可能性のある核技術や核物質を移転しないと決意していた。この決断はアメリカの核政策の指導層にも極めて不評であった。アメリカの核科学者たちは、核エネルギーの知識と理解を持つ同胞として、カーターに期待していた。

 カーターの努力はアメリカの使用済み核燃料再処理計画を終わらせた。カーターは韓国や台湾でプルトニウムが蓄積される影響を恐れたので、再処理を止めた。彼はこれが、韓国や台湾だけでなく日本と中国を巻き込んだアジア軍拡競争につながると信じた。

 カーターのアメリカ核ドクトリンは、プルトニウムに基づく核燃料サイクルを核エネルギーの未来と見るアメリカの核科学エリート層に極めて不評だった。石炭による酸性雨や石油不足、石油ショックといった、アメリカ経済の景気にブレーキをかけている諸問題への解決策として、彼らは原子力を見ていた。安くてクリーンで、ほぼ無尽蔵の核エネルギー源があれば、アメリカは疑う余地のない世界経済のリーダーとしての地位を回復できる。しかし多くの人にはそれ以上の意味があった。もしアメリカが核燃料サイクルを完成できれば、全人類が核の恩恵に浴することができる。アメリカ各地の研究センターやワシントンのインディペンデンス・アベニューにあるエネルギー省のフォレスタル・ビルディングでは、増殖炉研究計画への熱狂はほとんど宗教的な盛り上がりを見せていた。

 もし増殖炉が世界の原子力経済に革命をもたらすなら、アメリカ合衆国はそれをヨーロッパと日本の同盟国とも共有しなければならないと、アメリカの核政策指導層は考えた。科学の基本理念はまさに自由な情報交換であり、アメリカの科学者たちはヨーロッパや日本の同僚たちと手放しに情報共有していた。この協力関係は双方向だった。増殖炉は途方もない技術的困難であることが明らかになりつつあり、アメリカ合衆国と同じくらい長期にわたってこの問題に取り組んできたドイツ、イギリス、フランスの失敗から学ぼうと、エネルギー省は躍起になっていた。カーターの政策は、プルトニウムに基づく核エネルギーサイクルを開発し共有するための、アメリカの努力を妨げるものだった。



 強い権力をふるう核兵器・原子力ロビイストにとっては無念なことに、カーターは新しい原子力ルネサンスの考えを放棄した。カーター政権が導いたのは、核技術・物質の取引が制限され、科学者の間での自由な情報交換が阻害される時代だった。原子力規制委員会のリチャード・T・ケネディーとベン・ラッシュ、米国エネルギー省のハリー・ベンゲルスドーフのような人々にとって、このような自粛は到底受け入れがたいものであった。ジミー・カーターが再選されなかったことで、核政策指導層に新たなチャンスがもたらされた。


 情熱的な原子力信奉者の一人に、リチャード・ケネディーという名のキャリア官僚がいた。彼は元陸軍の事務官で、世に知られることなく原子力規制委員会で働いたが、カーター大統領の核政策に猛烈に反対したので、彼のキャリアは危うくなっていた。1980年にロナルド・レーガンが大統領に選ばれると、全てが変わった。レーガンが大統領になって最初に行ったことのひとつは、カーターの核ドクトリンを反故にすることだった。それはアメリカ合衆国がプルトニウムを友好国あるいは敵国での民間発電計画に利用することを禁じていたからだ。

 レーガンは核問題の右腕としてケネディーを使った。核エネルギー特使という地位から、嫌いだったカーターの政策が解体されるのをケネディーは監督した。新政権は、アメリカと世界がプルトニウムに依存する道を再び活発化させた。

 しかし、カーター時代の遺産の一つがアメリカの国際的な核取引への突入を束縛していた。カーターは1978年に原子エネルギー法を成立させていた。アメリカ合衆国で作られた核物質を外国がどのように輸入し利用するかを厳しく制限する包括的な法律である。この法律の下、議会は国境を越える原子炉用核燃料一つ一つの輸送に承認を与えなければならなかった。束縛されない核取引というケネディーのビジョンにとって、この法律は我慢ならない障害物であった。そこで彼は抜け道を考え出すことにした。

 レーガン政権が勢いを増していく初期の頃、アメリカの通常兵器と核兵器を含む兵器産業への巨額の資金注入が劇的に増加していったとき、この政権は新型核弾頭の設計や、増殖炉の難問に取り組んでいる核科学者たちに、無理やり資金を注ぎ込んだ。



 この計画の中心には、テネシー州の風光明媚なクリンチ・リバー渓谷にあるエネルギー省のオークリッジ国立研究所の実験施設があった。ここアパラチア山脈の麓では、アメリカで最も才能溢れる科学者たちが増殖炉を組み立てていた。この技術には信じられないような未来が約束されていた。発電をしながら、従来の使用済み核燃料を純粋なプルトニウムに転換するのだ。増殖炉は核科学の聖杯(訳注:聖なる探求の対象物)となり、核燃料サイクルを完結させることができれば、ほとんど無限のエネルギー源を開拓することができる。クリンチ・リバー増殖炉計画は最先端の技術で、レーガン政権下でエネルギー省は溢れる資金をここに注ぎ込んだ。1980年から1987年の間に、この計画には160億ドルが費やされた。そしてその後、始まったときと同じく唐突に、議会はこの計画を凍結した。

 アメリカで最も優秀な頭脳とほぼ無限の予算をもってしても、増殖炉計画は成功しなかった。失敗したのはクリンチ・リバーのチームだけではなかった。ドイツ、フランス、イギリスの増殖炉計画も、実験段階から商用炉に飛躍することはできなかった。レーガンの新型核兵器への傾倒は揺らがなかったが、80年代中盤の不況が長引くにつれ、軍産複合体のあらゆる面を議会での経費削減から守ることができなくなった。1987年、議会はクリンチ・リバーへの予算を廃止した。増殖炉をライフワークにしてきた科学者とエネルギー省官僚の幹部にとって、これは大きな災難だった。しかし、技術的な失敗やアメリカの支持が無くなってもなお、彼らは核燃料サイクルの構想に忠実であり続けた。

 その間も、まだ頑固に増殖炉技術を追求している国があった。日本である。1987年、天井知らずに成長していた日本経済には、無限の資金があるように見えた。増殖炉を経済的に成立させることができる国があるとすれば、それは日本だった。しかし、もし日本の科学者たちが成功しようとするなら、アメリカ人が中断した所から始める必要があった。

 次に起きたことを理解するためには、アメリカ政府が本当はどのように働いているのかを理解する必要がある。政権と議会、とりわけ下院は4年か8年で交代して定期的に構成人員が入れ替わるが、官僚機構はほとんど一枚岩ともいえる連続性をもって進み続ける。官僚機構の中では、キャリア官僚は子飼いのプロジェクトの陰で政権が変わるまで身を隠して待つことができる。議会が増殖炉計画を打ち切る前に、レーガンはその将来をリチャード・T・ケネディーの手に託した。

 ケネディーは、ハリウッド映画の配役担当責任者をワシントンのインサイダーにしたようなものだったと、長年の政敵であるデーモン・モグレンは語る。「ケネディーは、たばこの煙が立ちこめる裏工作の部屋で一生を過ごしてきた男らしく醜い赤ら顔で、彼の態度には斡旋収賄の臭いがぷんぷんしていた。彼がタマニー・ホール(訳注:1800年代後半から1900年代前半、汚職とボス政治で政治的に支配しようとした民主党内の政治組織)から出て来るのを見ても不思議ではなかったろう。」ケネディーの友人たちはもう少し肯定的だった。原子力規制委員の同僚だったベン・ラシュは、ケネディーの政治的本能を賞賛した。「おそらく同業者の誰よりも、彼は内外の政治的現実に良く順応していた。」友人も政敵も同様に、ケネディーは彼の行く手を遮る官僚たちを踏みにじることは少なかったと同意する。アメリカの増殖炉計画を、重要部分を日本に移転することによって救済するという動きを組織するという目的のために、彼は完璧な男だった。

 この計画には、ワシントンの複雑に入り組んだ官僚手続きを巧妙に操作することが必要だった。この規模の技術移転ともなると、数十の省庁、数百人の官僚からの承認を必要とする。しかしまさに、あまりにも巨大で複雑であるが故に、抜け目のないインサイダーは子分にしている少数の幹部の助けを借りて、狭い隙間をすり抜けることができる。日本との8年間の共同増殖炉開発は、大義のために情熱的に身を捧げる若い科学者と官僚たちの集団を養っていた。さらに、ケネディーはありそうもない勝利を手にしようとしていた。1985年、彼は原子炉を中国共産党に輸出することを議会に許可させることに成功した。


 1984年、ウェスティングハウス社は100億ドルにのぼる原子炉を中国に供給する契約を結んだ。この契約はアメリカの原子力産業にとって信じられないような「たなぼた」であり、アメリカ合衆国が世界の核取引で主導権を握るためにケネディーが払った努力の要となるものだった。唯一の問題は、中国が金さえ出せば核機密を誰にでも漏らすという、とんでもない前科であった。

 民主党の多数党院内総務補佐だったアラン・クランストンは、上院議事堂での重苦しい会議で次のように糾弾した。ケネディー在任期間中のレーガン政権は「行政部門に広く知れ渡っているように、組織的に情報を秘匿、隠蔽してきた。議会がこれを知ったら困惑するであろう」と。核の無法国家5ヶ国、つまりパキスタン、イラン、南アフリカ、ブラジル、アルゼンチンに、中国は核技術を売り渡したことが知られていた。1984年の時点で、クランストンとアメリカ政府の大部分は、中国が高性能の核兵器の設計図をパキスタンに与えたことを知っていた。北京は南アフリカの原子爆弾の材料となった濃縮ウランも売っていた。中国はアルゼンチンの原爆計画で使う重水を売り渡し、同時に最大のライバルであるブラジルにも核物質を売り、イランとも核交渉を進めていた。中国の核拡散の実績は、これより悪いものはない程ひどいものだった。しかし完全無欠の予防策を要求する代わりに、両者が好きなように解釈できるほど曖昧な合意文書を携えて、ケネディーは北京から戻った。中国は、核不拡散条約に署名することを拒否し、また中国が原子炉で燃やした燃料を再処理して核兵器用プルトニウムにすることを禁止する権利をアメリカ合衆国に与えることも拒否していた。



 ケネディーは核不拡散条約交渉でアメリカ側を指揮するため、1985年6月に北京に戻った。彼は最初の合意とほとんど同一の文書を持参した。しかし100億ドルの計画はワシントンでしぶとく生き残り、中国が鄧小平のワシントン訪問をキャンセルすると脅したので、ケネディーは求めていた突破口を手に入れることになった。中国の核の脅威を封じ込める最良の方法は、中国への最大の売り手になることであるという主張をレーガン政権は展開していたので、ウェスティングハウス社は政治家の人気を取れるように多くの下請け契約を出した。

 中国での合意はケネディーの一派を行政の絶対権力に押し上げた。ロビー団体と日本資本のシンクタンクの中心人物になれば巨額の報酬が約束されているにも関わらず、ケネディー一派の核心人物たちは政府に残った。このとき日本の増殖炉計画が検討対象になったので、国務省でのケネディーの右腕であるフレッド・マゴールドリックと、エネルギー省契約業者のハロルド・ベンゲルスドーフは、政府内の増殖炉信奉者の一門を説いて回った。彼らの目的は、アメリカの納税者の160億ドルを注ぎ込んだクリンチ・リバー計画の技術を、日本の大手電力会社に、千分の一の値段で移転することであった。この計画は、日本の5大企業に雇われている日米のコンサルタントが、主として承認したものであった。

 彼らの前には2つの大きな障害が横たわっていた。アメリカの法律と国際法は、クリンチ・リバー計画で開発された技術、特に使用済み燃料からプルトニウムを分離するために使われる再処理技術を、厳しく規制していた。そしてこの計画には、核兵器級プルトニウムと高レベル核廃棄物を何百回も船で国際輸送することが必要になる。



 1986年の始め、ケネディーは毎日のように軍備管理軍縮庁(ACDA)の中級職員のルイス・ダンと面会していた。ACDAは核拡散脅威評価書を作成する契約をしており、これが日本との取引が生き残れるかどうかをほとんど決定づけるものだった。

 ダンは核兵器の拡散に反対するために彼のキャリアを捧げていた。しかしケネディーと同じく、核技術を管理する最良の方法は世界で指導的な核技術の供給者になることであると、彼は信じていた。物静かで決意に満ちた態度で、ダンはケネディーと同様に日本との合意を力強く主張していた。ダンがケネディーと頻繁に持った会合の記録は未だに公開されていないが、ケネディーのスケジュール帳はこの二人の並外れた蜜月関係を示している。

 ダンは、フォギー・ボトムの国務省の中にある半独立の政府機関、ACDAで働いた。一年近くの間に少なくとも週3回、ダンは3階のACDA事務所から長い距離を歩いてケネディーの事務室まで通った。議会が日本への技術移転を許可するかどうか決定するために使う脅威評価について、二人は何時間も話し合った。



 ダンが起草した報告書は1986年半ばに年次報告にまとめられたが、すぐさまペンタゴン、CIA、原子力規制委員会から疑いの目で見られた。日本には核武装する技術と、そしておそらく意図があることを、CIAは何年も前から警告していた。アメリカ政府内での通説に反して、日本は核武装する法的権利を放棄したことはなかった。事実、1950年代初頭にさかのぼる一連の政策文書と政府内部の議論では、日本の政策決定者はきっぱりと核オプションを確保していた。最も説得力があるのは、日本政府の最高レベルで1969年に配布された内部向けの政策大綱で、日本は核兵器を開発する技術的・経済的手段を保持し、必要なら開発すると記されている。不吉な付言には、「いかなる外圧がかけられようとも」そうするのだと宣誓している。

 CIAはこの1969年版政策大綱のことを知っており、日本がもし脅威を受けたなら核武装の意図と手段を持っていたことを示す他の証拠を突き止めていた。1960年代以来CIAが歴代大統領に送ったこの問題に関する報告書は、1965年にリンドン・ジョンソン大統領が佐藤栄作首相に約束した核の傘を、さらに強化することにつながった。ジョンソン大統領以降のすべての大統領は、日本の核ポテンシャルについて知っていたことをCIAは確認した。しかしこの警告は、クリンチ・リバーの実験装置や研究結果の移転といった基本的な判断を日本側と共に行う、官僚組織の担当者レベルまで届くことはほとんど無かった。


 CIAは日本の原子力計画に対し何十年も前から疑いの目で見てきた。CIAとNSAはアメリカの敵国のみならず同盟国をも日常的に盗聴した。日本は核武装する潜在能力と、状況によっては核武装する意思を持っていることを、CIAは何年にもわたり一貫して報告していた。

 しかし1987年、日本との核機密と核物質の取引を加速させようとケネディーが精力を傾けていた頃、CIAは締め出しを食っていた。皮肉にも、日本の核武装潜在能力について最もよく知っていた官庁が、日本への核技術移転についてアメリカ合衆国内部でどのような検討がなされていたかについて、ほとんど知っていなかったのだ。CIAには外国政府を監視する任務が課されていた。ライバル省庁に対する諜報活動を完全に自粛していたわけではないが、この件では日本にクリンチ・リバー計画を移転しようとするケネディーの国内での動きについて、CIAはほとんど何も知らなかった。最終的には、CIAは意志決定から排除されてしまった。ケネディーの敵役はペンタゴンということになった。

 州政府、エネルギー省、ACDAは日本との全面的な協力関係を支持した。しかしペンタゴンは、ヨーロッパと日本の間を海上輸送される原爆級プルトニウムをテロリストが強奪する可能性を恐れた。ペンタゴンの論陣を主導したのは、レーガン政権の核兵器計画担当国防次官、フレッド・アイクルであった。アイクルのテロ攻撃についての懸念は本物だったが、公には議論されない水面下に、はるかに大きな懸念が潜んでいた。その問題はあまりにも政治的に不評なため、ペンタゴンの外部で取り上げられることはほとんど無かった。何年にも渡り国防省とCIAの敵国情報に関するアナリストたちは、日本が恐るべき核兵器システムを開発する能力を持っていると信じていた。政権内で日本の技術的能力を疑う者はほとんど無かったが、日本が核武装の政治的ポテンシャルを持つと信じたアイクル他数名は少数派だった。



 ペンタゴンにはケネディーの味方が一人いた。ジェームズ・アワー大佐はアメリカ国防長官官房の日本担当職だった。彼はペンタゴンで日本の全てにかんする一番のオーソリティーだった。アワーは海軍での20年間のキャリアのほぼ半分を日本で過ごした。最初は、横浜を母港とする誘導ミサイル・フリゲート艦の指揮官を務め、その後は日本版の海軍兵学校(訳注:海上自衛隊幹部学校)で学んだ。日本文化に親しんだ多くの西洋人と同じように、アワーは宗旨替えをした。彼は日本語を話し、文学を読み、日本の古典舞踊である歌舞伎の通となった。

 日本をめぐってアメリカの軍事官僚が国務省とエネルギー省に対立していた1986年に、彼の才能はペンタゴンで大いに役立つものだった。文民官僚たちは、特に核エネルギー分野で、日本を国際関係における躍動的で有能なパートナーと見ていた。これに対し、ペンタゴンの武将たちはずっと暗い展望を持っていた。朝鮮戦争以来、アメリカ軍は日本をほとんど居候と見なしていた。ソビエト、中国、北朝鮮を追い詰めていたアメリカ兵士たちの背に乗って、日本は経済を構築し、怪物的な成功を収めたのだ。証拠を検証するまでもなく、ワシントンの他の主要省庁に比べ、国防省が日本の主張に同調する可能性は極めて低かった。

 この最大の例外がアワーだった。熱心な親日派である彼は、日米協定をペンタゴンに認めさせるために打って付けの地位にいた。1986年始め、アワーの名前がケネディーのスケジュール帳に現れるようになる。日本担当の防衛事務官として、提案されたプルトニウム取引に関するほぼ全ての書類と首脳会談に、アワーは内々に関与していた。彼は、日本大使館だけでなく、陰の日本在外公館として機能した五大日本企業のオフィスで、多くの友人や同僚とも毎週のように接触していた。ペンタゴンでの議論や戦略を、アワーがケネディーや日本人に漏らしたかどうかは定かでない。日米協定に関するペンタゴンの最大の関心事は、膨大な量の核兵器級プルトニウムと核廃棄物を、適切に防衛することは不可能な海路で輸送するということだった。

 ペンタゴンは安全保障問題でケネディーと対立した。国防省はいくつもの報告書で、少なくとも駆逐艦を護衛に付けなければプルトニウム輸送を適切に防衛することはできないと結論した。海軍で20年の指揮経験を持つリチャード・スピアーのような男たちは、自らの警告をケネディーと同僚たちがルイス・ダンのACDA分析報告書に基づいて覆すのを目の当たりにした。日米協定が発効する前にパナマ運河を通った唯一のプルトニウム輸送で、海軍は運河通過の安全を確保するため小艦隊を配備した。この作戦はイラン・コントラで名高いオリバー・ノース中佐が立案したものだった。アメリカ合衆国はこのとき、フォギー・ボトムの国務省の密室でほぼケネディーとダンだけの手で作られた分析報告書のみを根拠に、何百トンものプルトニウムその他の核分裂性物質を、数人の警察官だけで警備された貨物船に載せて、公海上を輸送することを許可する準備が進んでいた。

 当時の防衛副次官補だったフランク・ガフニーは、この輸送計画に対するペンタゴンの反応が、ほとんど全面的な反対だったと回想する。「そのような輸送を護衛できる方法など全く存在しなかった。これではまったく譲歩のしすぎだった。もし世界を回る輸送の途中で敵に決然と攻撃されたなら、日本人にはこれを止める意思も能力もない。」

 アイクルとガフニーは、足が遅くて武装もほとんど無く、一隻の沿岸警備艇さえ撃ち払うことができない核物質輸送船のことを憂慮していた。第二次大戦時代の駆逐艦や武装モーターボートでも手に入れた国家やテロ組織なら、プルトニウムを積載した船をなすがままにできたはずだ。

 ペンタゴンはプルトニウムの空輸を支持したが、墜落に耐えるはずのキャスクが試験で壊れ、この選択肢は行き詰まっていた。グリーンピースがその試験結果を入手し、メディアに公表した。これでプルトニウムと高レベル核廃棄物の空輸というペンタゴン好みの選択肢は潰えた。国防省は、日本人がプルトニウムを自国の核兵器計画に使うのではないかという懸念も持っていた。CIAを除けば、アメリカ政府のどの省庁も日本が将来核武装するとは確信していなかった。しかし他の省庁にとって核武装した日本が想像もできない掟破りであったのに比べれば、国防省は違和感を持っていなかった。そのとき継続していた産業・経済・イデオロギー的な反共産主義キャンペーンの中で、日本はおそらくアメリカの最も強力な冷戦同盟国だった。日本の軍隊は専守防衛で、1986年当時は軍事力を行使する意志を持っていなかったが、国防省の長い記憶には、かつて日本が極めて強大な軍事力を持っていたことが刻まれていた。多くのトップクラスの士官たちは保守的な軍人家系の出身で、第二次世界大戦で日本人と戦った軍人を父親や伯父に持っていた。国務省は日本を巨大な平和主義経済マシンになぞらえ、エネルギー省は日本を愛しい増殖炉の代用子宮になぞらえたのだとすれば、国防省はいまだに日本を眠れる巨人と見ていた。しかし今回は、その眠れる巨人はアメリカ同盟国だった。

 日本が核武装すればアメリカの軍事負担は軽減される。中央ヨーロッパ平原での全面戦争に備えることがペンタゴンの主要任務だった。しかし韓国に2個師団を維持するとともに、中国やソビエト極東のミサイル基地に対する防壁とするため、核兵器を搭載した艦船と航空機を太平洋に配備する必要のあることが、ペンタゴンを悩ませていた。レーガン政権の戦略は、ソビエトの国家軍事力を崩壊まで押しやり、ソビエト連邦と衛星国を共倒れにさせようとするものだった。より攻撃的で核武装した日本は、アメリカのこの戦略にとってすばらしい財産になるはずだ。したがって国防省が戦術的観点からプルトニウムの海上輸送に反対して争ってはいても、プルトニウムと核技術の日本への移転に対する国防省の反対は、単に形だけのものだった。

 アワーは舞台裏でのこのような感情を利用することができた。1986年の末、プルトニウムの海上輸送は重大な核拡散リスクとはならないとしたダンの報告書に、ペンタゴンは不承不承ながら署名した。この問題でペンタゴンは筆頭の官庁ではなかったと、ガフニーは説明する。したがってペンタゴンが本気で争ったとしても、国務省とエネルギー省はおそらく、ペンタゴンの反対意見や重要人物たちの昇進の野望を挫くために、支持を取り付けることができただろう。



サバンナ・リバーとハンフォードの秘密
 クリンチ・リバーの技術が核兵器用に理想的なものだということを、ペンタゴンは知っていた。この計画での理論的な研究のほとんどは、オークリッジ国立研究所で行われていた。しかし装置開発と実地研究の多くは、他の2ヶ所の大きな核兵器研究所で行われた。サウス・カロライナ州エイケン近くのサバンナ・リバー・サイトにあるキャニオンと呼ばれるプルトニウム分離工場群と、ワシントン州ハンフォードである。

 ワシントン州の施設は、1940年代初めにマンハッタン計画でプルトニウムを分離するために建設され、1950年代と60年代に新しいサバンナ・リバー施設へと大幅に拡充された。広島と長崎を壊滅させた爆弾を生み出し、このときは水素爆弾の核弾頭を造っていたこれらの工場群を、クリンチ・リバー計画が最盛期を迎えていた頃、毎年何十人もの日本の科学者たちが訪れていた。この計画の打ち切りが回避不可能になったとき、日本人はさらに大勢で訪れるようになっていた。

 増殖炉は、プルトニウムで動く。プルトニウムは、増殖炉以外には核兵器しか使い道のない物質である。プルトニウムを作り出す技術は、核兵器計画そのものであった。アメリカ合衆国では、このような事業は、政府だけが所有する一握りの核兵器施設に限られていた。核兵器技術の民営化に内在するリスクを認識していたハリー・トルーマン大統領は、アメリカの原爆計画を民間企業と軍から独立した形で構築した。

 クリンチ・リバー計画で最も機密性の高い技術は人里離れた核の「居留地」に置かれた。まさにその発端から、日本の業界関係者は、自分たちが獲得しようとしているものを見るために、アメリカ側の基地へ立ち入りを希望した。日米協定は5年の協力期間を提唱していた。この期間に、日本とアメリカの科学者たちは増殖炉計画で共同研究し、その資金の大部分は日本の電力会社によって賄われる。エネルギー省側の総括責任者だったウィリアム・バーチが言ったように、この案は「ゲームを続けるため」のものだった。ゲームを続けるためには、アメリカ合衆国は日本のルールでプレーしなければならない。そして日本が求めた特定の技術は、ずばり核兵器計画のためのものだった。

 要求リストの1番にあがっていたのは、約30年にわたり核兵器用プルトニウムを量産してきたサバンナ・リバー・サイトにある、高性能のプルトニウム分離装置だった。サバンナ・リバーでは遠心分離器の建造とテストが行われ、アルゴンヌ国立研究所でさらに試験を重ねた後、日本に送られた。その行き先は、リサイクル機器試験施設(RETF)という紛らわしい名前を付けた工場で、使用済み燃料から核兵器級プルトニウムを分離するためのものである。RETFは日本の増殖炉計画の中心的存在だった。日本人は自分で高純度プルトニウムを製造するため大容量の工場を必要とした。この工場の建設中は、日本はフランスとイギリスに契約してプルトニウムを精製した。

 サバンナ・リバーで軍事用プルトニウムを作ったアメリカの経験は、日本の計画にとって理想的だった。アメリカの他の兵器研究所も日本の計画に手を貸した。ハンフォード・サイトとアイダホ州のアルゴンヌ西研究所は、増殖炉「常陽」向けプルトニウム燃料集合体の何千時間にも及ぶ試験を行った。日本の科学者たちはこの試験に全面的に参加し、アメリカの核兵器開発体制をほとんど好き放題に使うことができた。日本がいつか核兵器を配備する時が来たなら、それを可能にしたのは日米協定を通した核兵器転用可能技術の大規模移転だったということになる。




 米国エネルギー省が日本の統制された原子力発電会社である動力炉・核燃料開発事業団(動燃)との間で交わした協定は、核拡散防止の禁止事項を定めたリストに違反していた。この協定に欠けていたのは、日本がアメリカの同意なしには核物質を第三国に輸出しないこと、また、日本がアメリカの事前承認なしにはアメリカの核燃料を再処理してプルトニウムを取り出さないことについての保証だった。つまりアメリカ合衆国は、日本にあるアメリカ起源の核物質に関する全ての権限を、その後30年にわたって放棄してしまった。

 この取引はカーターの原子力エネルギー法にも違反していた。このアメリカの法律は、アメリカの核物質の再処理あるいは再輸出は、核拡散リスクを増大させてはならないと定めている。日米協定は特に、兵器目的の流用をアメリカ合衆国に速やかに警告することを、何ら保証していない。事実、日本では東海村再処理工場を襲った事故で、70キログラム以上の核兵器級プルトニウムが行方不明となっている。これは20個以上の核兵器を製造できる量である。たった一つの協定で、アメリカ合衆国は核物質の管理権限を譲り渡し、急速な核兵器配備を防ぐための安全余裕度を全て放棄してしまった。技術移転の時点で、増殖炉計画が確実に作り出す唯一のものはプルトニウム、それも膨大な量のプルトニウムで、アメリカの核兵器に使われたプルトニウムより2倍も純度が高いものだということを、ワシントンと東京の官僚たちは知っていた。

 この技術移転を画策したアメリカの官僚と科学者たちにとって、これは科学と国際協力に対して彼らが仕掛けたクーデターであった。広島と長崎の原爆惨禍に照らせば、核武装した日本という考えは一般には信じがたいものだったからだ。

 日米協定は、アメリカの高速増殖炉と再処理技術を日本に大規模移転したことに加え、アメリカ合衆国から核物質を量的制限無く輸入し、無制限に再処理してプルトニウムを取り出し、他国に再輸出する権利を日本に与えた。



 元宇宙飛行士のジョン・グレン上院議員は、この協定の裏の意味を理解するのに十分な科学的知識を持っていたので、これに猛烈に反対した。しかしケネディー一派は、祝日の連休が始まるわずか数時間前に、協定案を不意打ちで米国議会に送付した。グレンの支持者のほとんどは既に地元に帰った後で、グレンは協定が可決されるのを黙って見ているしかなかった。連邦会計検査院院長は即座にこの協定を違法だと宣告した。にもかかわらず、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領(父ブッシュ)は協定に署名した。日米協定に署名する前は、アメリカ起源の燃料からのプルトニウム分離の要求を、アメリカ合衆国はその都度ケース・バイ・ケースで検討していた。ところがこの協定は、アメリカ起源の核物質を日本国内で再処理して貯蔵し、使用済み燃料をプルトニウム分離のためヨーロッパの指定された施設へ輸送する、包括的権限を日本に与えた。

 法案が署名され法律が成立すると間もなく、ケネディー一派は応分の報酬にあずかった。協定のペンタゴン通過でケネディーを助けた海軍大尉のジェームズ・アワーには、出世の道が与えられた。法案が成立するとすぐ、アワーはネイビー・ブルーの海軍制服をバンダービルト大学終身教授のツイード・ジャケットに取り替え、日本企業が全額負担するシンクタンクでの新しい地位を獲得した。

 マゴールドリックとベンゲルスドーフは数年後に政府職員を退官して個人でビジネスを始め、日本の原子力産業の個人コンサルタントとして何十万ドル(数千万円)を稼いだ。

 上院がケネディーの日米原子力協定を批准した1988年の時点で、日本は世界でプルトニウムを負債ではなく財産と見なす数少ない国々の一つになっていた。ソビエトとアメリカは、この大量の長寿命放射性元素を安全に貯蔵する方法を見つけようと試みていた。ドイツやイタリアでは、民衆の強い抗議によって政府はプルトニウムを国境の外で貯蔵せざるを得なくなっていた。


 1970年代の時点で、日本は宇宙計画を熱心に推進するようになった。日本は第二次世界大戦の敗戦から立ち上がり、もの作り・技術大国としての地位を確立していた。ジェット機時代は宇宙時代に席を譲り、日本のような覇権国家は自前の宇宙計画を持つ必要があった。日本ではよくあることだが、この決定は感情的というよりはむしろ実用本位だった。将来の通信は人工衛星に依存し、戦争は長距離ミサイルで戦われると考えられた。1969年の時点で、日本はすでに短期間で核武装する能力を維持することを決定していた。始めから、長距離弾道ミサイルと人工衛星の誘導能力は、この防衛構想の一部だった。

 1969年に、日本は積極的な宇宙の探求を開始し、宇宙開発事業団(NASDA)を開設して潤沢な資金を与えた。この事業団の目的は宇宙の有効活用だった。日本は月ロケット競争に突入する気はなかった。日本が求めていたのは通信衛星と監視衛星だった。そして日本はその方法を知っていた。

 「平和のための原子力」の下でアメリカが核技術を日本に移転したのと同じように、アメリカは日本に宇宙開発の秘密も開示した。NASDAはN-I液体燃料ロケットをアメリカの援助で開発し、1977年に通信衛星「きく2号」を打ち上げるために使った。この成功によって日本はアメリカ合衆国とソビエト連邦に次いで人工衛星を静止軌道に投入した3番目の国となった。

 「きく2号」打ち上げ成功の後、NASDAはN-IIロケットとH-IIロケットを開発し、無線通信、放送、気象観測などの地球観測機能を持った様々な実用衛星を打ち上げた。大型で効率の高い国際クラスの打ち上げロケットとなったH-IIは1994年から打ち上げられてきた。H-IIの打ち上げ能力は、核弾頭を大陸間射程で打ち上げる能力に対応していた。「きく2号」の初期の成功にもかかわらず、日本の悩みの種は正確さの欠如だった。アメリカ人やロシア人とは異なり、日本のロケット科学者たちは人工衛星を正確な軌道に投入する能力を持っていなかった。

 「きく2号」の後継機は不正確で不安定な軌道が続発していた。設計寿命を10年とした「きく3号」は、軌道を保つためにわずか2年半で燃料を使い果たし落下した。「きく4号」は2年も持たなかった。困難な問題に直面した科学者ならどこの国でもそうするように、日本人は近道を探した。それはソビエト共産主義の凋落とともにやってきた。

 1991年、科学者たちが西側諸国に脱出し、空気も漏らさぬかに見えたソビエト宇宙・ミサイル計画の機密保持に大穴があいた。日本の秘密情報機関はこの混乱を利用し、SS-20ロケットの設計図と、ソビエトで当時もっとも進んでいた中距離弾道ミサイルの重要な第3段目の部品を入手した。3個の弾頭を搭載するSS-20ロケットは技術的な秘宝で、日本はここから多くのミサイル誘導技術を学んだ。ロシアのミサイルから学んだのは、一つのロケットに搭載された複数の弾頭を別々の位置に誘導する方法だった。多弾頭独立目標再突入ミサイルと呼ばれるこの技術は、現代の全ての弾道ミサイル兵器の鍵となっている。ひとつのミサイルから別々の目標に向けられた複数の弾頭を打ち出せば、これに対する防御はほとんど不可能となる。

 日本は「ルナーA」月探査機も開発した。この宇宙探査機は多くの点で大陸間弾道ミサイルに似ている。「ルナーA」は3つの探査機を月面上の別々の目標に打ち込むように設計された。この技術は弾道ミサイルに直接応用可能なものだ。多弾頭の再突入と標的技術の実験に加え、頑強な電子機器を作る日本の能力も試験できるはずだった。探査機に搭載された機器は、月面に衝突し突き刺さる際の強大な圧力に耐えなければならない。これはB-2爆撃機のために開発されたB-61-11のような小型のバンカー・バスター核兵器のために、アメリカ合衆国が完成した技術と全く同じものである。「ルナーA」計画でこの技術が完成すれば、日本は世界と肩を並べる高性能の核兵器と運搬ロケットを開発することができる。


 核兵器に対するムードが日本で変化し始めていた。これをおそらく最も露わに述べたのは、国務大臣ハダ・ハツモ(訳注:モンデール大使の在任中、羽田 孜[はた つとむ]が細川内閣で外務大臣を務めている)が大使館での夕食会でウォルター・モンデール駐日大使にささやいた言葉であった。後に中国への大使となったハダ(訳注:羽田 孜がその後在中国日本大使になったことはない)はモンデールに、もし北朝鮮が核爆弾を獲得するか地域安全保障問題が悪化したなら、日本は核武装しなければならないと語った。そのために日本の民衆を教育しなければならないが、そのことは問題ないとハダは語った。中国と北朝鮮が核実験を行う中、数年の間にこの地域の安定性はますます脆弱になっていた。日本は地域の問題に迅速に対応する準備をしなければならないと感じる。1980年代初め、バブル経済の崩壊で、日本は数多くの分野で支出を削減した。しかし核エネルギーへの傾倒は止まらなかった。この領域では、日本はまだ世界のリーダーだった。

 1990年代、日本で最も大きな権力を持った政治家の一人である東京都知事の石原慎太郎は、初めて公然と核兵器システムの獲得を主張した。驚くべきことに世間の論議はほとんど無く、都知事は大差で再選された。

 当初から、日本の増殖炉計画はある確信に基づいていた。それは、アメリカ人とヨーロッパ人が失敗したこと、つまり極めて複雑な増殖炉サイクルを安全に運転して利益を上げることを、日本の産業ならやり遂げられるという確信だった。この考えは、製造業での約60年にわたる成功によって育まれた日本国家の威信に根付いていた。日本の献身的で教育の行き届いた労働力と、もはやブランドとなった品質管理によって、日本は数々の産業で世界をリードしていた。原子力発電は、日本の優れた労働者と経営者が可能にした数々の成功談に、さらに一ページを加えるだけだと信じられていた。



 30年前なら、日本に対して最も批判的な人々でさえ、西洋の努力が失敗した分野でも、日本なら成功を収めることができると同意したかもしれない。しかし、破局的な原子力事故の続発で、原子力産業が他の分野とは全く異なることが明らかになり、この楽天主義は間もなく衰えてしまった。1995年の高速増殖炉「もんじゅ」と1997年4月の東海村再処理工場での二つの事故で、深刻な放射能漏れが起き、どちらの事故でも隠蔽工作が行われた。最もひどかったのは高速増殖炉「もんじゅ」での火災と放射性ナトリウム漏れ事故だった。「もんじゅ」を運用していた国有企業の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)は、国民に対し事故に関して繰り返し嘘をついた。動燃は事故原因が写ったビデオ映像を隠そうとした。破裂した二次冷却系のパイプから2〜3トンと推定される放射性ナトリウムが漏出し、高速増殖炉技術の歴史上この種の漏洩事故としては最大のものとなった。虚偽の情報を出したことに対して動燃が付けた理由の一つは、「もんじゅ」が日本のエネルギー計画の中で極めて重要なので、「もんじゅ」の運転継続を脅かすことはできないというものだった。言い換えれば、国民の安全は増殖炉計画の二の次だったと言うことだ。

 12月11日早朝に福井県職員たちの勇気ある行動がなければ、動燃の隠蔽工作は成功していただろう。隠蔽の疑いがあったので県職員たちは発電所に立ち入り、ビデオテープを差し押さえた。この行動は、先に福井県の敦賀1号機で1980年代初頭に起きた事故の直接的な結果であった。福井県職員たちはこの事故を調査することを許可されなかった。「もんじゅ」の事故が起きたとき、職員たちは二度と追い返されないことを決意した。動燃自身がビデオテープ隠しに関与していたことが暴露されると、一人の動燃幹部が自殺した。

 日本の核施設で深刻な問題が続発する中、第二次世界大戦以後見られなかった軍事的対応が日本人の心に戻ってきた。1999年の春、日本の領海に侵入して留まった北朝鮮のトロール船を日本の艦艇が砲撃した。終戦以来、この行動は日本の機関砲が火を噴いた最初の例となった。純粋に軍事的観点から見ればこの交戦の重要性は低いが、この一件は日本の軍人魂が再び目覚めたことを象徴していたので、北太平洋地域の注目を集めた。


 日本を除けば、フランス、ロシア、イギリスだけが、今もプルトニウムを財産と見なしている。これらの国々は商業再処理産業に何百億ドル(何兆円)も投資してきた。アメリカ合衆国は、サウス・カロライナ州バーンウエルの、サバンナ・リバー・サイトの門からすぐ外にある、唯一の再処理工場を、一度も運転することなく廃止した。フランスのラ・アーグとイギリスのセラフィールドにある政府所有の巨大な工場だけが、海外顧客のために使用済み核燃料から何トンものプルトニウムを分離している。最大の顧客は日本で、増殖炉を造る能力への自信とは裏腹に、イギリスとフランスからプルトニウムを購入することを選んだ。

 フランスとイギリスの再処理業者が日本に返還するプルトニウムは、核兵器に使用するのに十分な純度を持ち、アメリカ合衆国で採掘されたウランから作られたものも含まれている。レーガン政権のリチャード・ケネディーによって押し通された日米協定のおかげで、アメリカ合衆国はこの核物質の移動と使用に関して何の影響力も行使できない。したがって日本の悲惨な原子力事故の後でさえ、核兵器を制限しテロ組織が核物質を入手することを防ぐ努力にもかかわらず、今もアメリカ起源の核物質がトン単位で日本に輸送されている。輸送船1隻には何百発もの爆弾が作れるプルトニウムが載っている。

 日本人は世界で最も熱心な核兵器反対論者だが、日本の安全保障は核兵器と密接に結びついている。アメリカの核の傘は、今のところ中国や北朝鮮のような核武装した隣国に対する日本の最後の防衛線となっている。そして日本の指導者層の理由付けは、日本を守るためにアメリカが核戦争に踏み込む確証がないというものだ。中国や北朝鮮からの爆弾が国内で爆発する可能性があるので、多くの日本の指導者たちは、核の選択肢を好ましいというだけでなく不可欠だと考えるようになった。

 リチャード・ケネディーは1998年に死去し、アーリントン国立墓地に埋葬された。その後の年月で、彼の弟子たちは安楽な生活を送った。しかし彼らがケネディー特使の働きによる果実を享受している間に、彼らが作り出した政策の現実は最も劇的な形で最終章を迎えようとしていた。



 セラフィールド核再処理工場はサバンナ・リバー・サイトをイギリス政府所有にしたような施設である。かつてセラフィールドは、プルトニウムの生産に特化していた。プルトニウムは世界で最も危険な物質で、原子爆弾の鍵を握る材料である。セラフィールドは数年前までは近隣の街の生活を支えていた。世界中の原発で放射線照射された原子炉燃料から、貴重なプルトニウムを分離するために、6千5百人がセラフィールドで働いた。これは危険な作業である。顕微鏡でしか見えないプルトニウム粒子が、肺癌や血液のガンを引き起こすのに十分なのである。セラフィールドはプルトニウムをトン単位で生産し、同時にさらに大量の他の放射性廃棄物も生み出した。サバンナ・リバーのように、イギリスの工場は放射能を周囲の環境に放出した。1952年以来、アイリッシュ海の魚貝類や海草、そしてこの地域の鳩までが、セラフィールドからの放射性廃棄物にひどく汚染されてしまった。このプルトニウム工場は、10年間で300億リットルの放射性廃棄物を海へ放出した。

 セラフィールドの再処理産業の最も危険な結果は、世界の反対側で引き起こすかもしれない軍備競争である。この理由は、セラフィールドを運営する国有企業の英国核燃料会社(BNFL)が、最高値を付けた買い手のためにプルトニウムを量産したからである。引退したイギリスの核兵器設計者であるフランク・バーナビー博士は、セラフィールドで生産され繰り返し日本に輸送されたプルトニウム燃料は、核兵器用として十分なほど純度が高いと語る。アメリカ合衆国とイギリスの両者が、いわゆる原子炉級プルトニウムで核兵器を作り、実験も行ったと彼は説明する。

 核不拡散の専門家である故ポール・リーベンタールは、セラフィールドに最も近い街であるシースケールの人々は、期せずして原子爆弾になるかもしれないプルトニウムを供給したのであり、「サッチャー政権のイギリス政府は雇用確保の名目でこれを行ったのだ」と語った。

 ケネディー特使の協定は、プルトニウムをテロ攻撃の可能性から守るため、政府の専用艦船による護衛付きで核物質を輸送する船舶を求めていた。この文言の意図は、輸送船を軍艦で護衛することを求めるものだったが、日本の国内圧力に対応して、船舶会社はアメリカ、イギリス、日本の政府を説得し、二隻の輸送船が相互に護衛し合うことを許可させた。費用を節約したい日本の電力会社の連合体が部分的に所有するBNFLの、さらに子会社であるパシフィック・ニュークリア・トランスポート・リミテッドという船舶会社が、これらの輸送船を所有する。

 日本、フランス、イギリスの間で続けられる核貿易は、間もなく日常的なものになった。アメリカ起源の原子炉廃棄物が毎年何千トンも日本のために輸送されていることは、1995年の春まではほとんど問題にされなかった。フランスとイギリスがプルトニウムを日本に送り続けることには、利益を超えたもう一つの理由があった。そうしなければ、これをロシアがやるだけなのだ。経済的には、需要と供給のバランスは、世界で唯一の真剣なプルトニウムの買い手である日本にとって有利である。核武装した日本という展望に直面し、これらの国々の間で繰り広げられた血生臭い歴史を考えたアジアの日本近隣諸国は、フランス政府所有の再処理業者であるアレバ社からの購入を始めた。

 これらの海上輸送はけっして平穏無事ではなかった。



 福島の核惨事は、間一髪で危機を免れた日本で最初の核兵器級プルトニウム事故ではなかった。1995年3月20日、何百発の原子爆弾を作れるプルトニウム廃棄物を積載したパシフィック・ピンテイル号が、嵐の中をチリの領海に入ろうとしたとき、日本はチリの海岸を汚染する寸前だった。

 1995年3月20日、ブレイン・アクストン船長はそれまでの経験でも見たこともない悪天候に見舞われていた。軽武装したトローラー船のパシフィック・ピンテイル号は、荒れる海の中で難航し、40フィート(12メートル)の波が船体に叩き付け、しぶきは嵐の中を真横に飛んでいた。世界一危険な海である南米大陸先端のホーン岬沖で南極嵐の真っ直中にいただけでなく、この悪天候はアクストン船長が直面していた数々の問題の一つに過ぎなかった。

 ピンテイル号は、積み荷の内容をめぐってチリ海軍の警備艇とにらみ合いを続けていた。フランスから日本へ運ばれる積み荷は、プルトニウムを含んだ高レベル放射性廃棄物のキャニスターが28本だった。もしピンテイル号が沈むようなことになれば、猛毒の積み荷が南米大陸の西岸全体を汚染することになりかねない。アクストンとチリの船長は、共に大惨事の危険に気付いていた。

 波しぶきと土砂降りの雨の中、アクストン船長はチリの国旗を掲げた警備艇を辛うじて視認することができた。チリの船長は、ピンテイル号がチリの200海里専管水域に侵入することを防ぐため、いかなる手段をも使う権限を与えられていると、既にアクストンに警告していた。アクストンにはこの文言の意味は明白だった。これは、最も礼儀正しい言い回しで「反転して帰れ、さもなければ撃沈するか、拿捕する」と言っているのだった。

 チリ政府は、もしピンテイル号が沈むのなら、それはチリ経済の主力である南洋漁業の漁場からできるだけ離れた場所でなければならないと、心を決めていた。チリ警備艇の船長は、沿岸警備周波数で警告を叫び続けた。警備艇が荒海を乗り越えてピンテイル号に照準を合わせようとしているとき、船長はサンチアゴに無線で砲撃の許可を求めていた。許可は与えられなかった。アクストン船長は、チリ人は核廃棄物の積み荷を自国の海に沈めたくない方に賭けた。海はあまりにひどく荒れていたので、どちらの船も何とか浮いているだけで精一杯だった。拿捕のために乗船するなど論外だった。チリの警備艇はピンテイル号に、パタゴニア沿岸の風下で嵐を避けながら、チリ水域の航行を続けさせるほか無かった。ひどい話は、荒天で損害を被ったピンテイル号が2週間後に日本の水域に到着したとき、日本の東には台風が発達中で、日本の所有者たちはピンテイル号に、日本沿岸から300海里離れて台風の外で待つように命令したのだった。


 2010年9月、フランスのアレバ社は、福島第一原子力発電所3号機に、最初のプルトニウム・ベースの混合酸化物(MOX)燃料を装填した。年月が経つにつれ、さらに多数の日本の指導者たちが、軍備推進、原子力推進を大胆に表明するようになった。2011年3月の津波と核惨事に先立つ数週間に、中国漁船の船長が海上保安庁の艦船に彼の船を体当たりさせて逮捕されたあと、核武装した日本の問題は公然と議論されるようになった。イギリスのインディペンデント紙との対談で、石原慎太郎東京都知事は日本が1年以内に核兵器を開発して世界に強いメッセージを送る可能性を肯定した。「日本の全ての敵国、すなわち直近の隣国である中国、北朝鮮、ロシアは核兵器を持っている。こんな状況に置かれた国が他にあるか? コストのことを話題にしたりする人がいるが、事実は、外交的交渉力とは核兵器を意味する。すべての[国連]安保理[常任]理事国が核兵器を保有している」と石原はインディペンデント紙に語った。海上保安庁の艦船に体当たりした容疑がかけられた中国漁船の船長を、警察が釈放する形で終わりを迎えた中国との衝突は、アジアにおける日本の弱みを露呈させたのだ。「[もし日本が核兵器を持っていたら]中国は尖閣諸島に手を出そうとはしないだろう。」

 都知事が声明を発表する前の週に、北京は2011年の防衛予算を13パーセント増額することを公表した。日本との緊張をさらに高めたのは、2011年1月に中国は公式に日本を抜いて世界第2の経済大国になったことである。

 核武装した日本は、第二次大戦中に日本が領有する北方4島を占拠したロシアからも尊敬を勝ち取るだろうと都知事は語った。さらに都知事は、日本は武器の製造と輸出に関する全ての憲法上の制約を撤廃すべきだと助言した。「日本は高性能の武器を開発して国外に輸出すべきだ。アメリカが航空機産業を破壊する前には、日本は世界一の戦闘機を作った。日本はその地位を取り戻せるかもしれない。」日本の国粋主義者たちは、アメリカ占領時代にアメリカ合衆国によって書かれた日本の戦後憲法を廃棄すべきだと主張してきた。憲法は日本が戦争を始めることを禁じている。

 都知事がこれらの声明を発表した1ヶ月後、福島原子力発電所でプルトニウム・ベースのMOX燃料を装填した3号機を含む、3つの原子炉がメルトダウンした。初めて日本の一般市民が、強力な日本の電力会社と日本政府との関係について、また備蓄されたプルトニウムについて、真剣な問いを発することを始めた。

 それから1年後、答えよりも多くの疑問が残っている。






  


テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

日本 NPTの核不使用声明に署名せず

2013.04.30 11:30|原発・放射能・原子力
NHK NNEWSWEBさんより転載


日本 NPTの核不使用声明に署名せず



スイスのジュネーブで開かれているNPT=核拡散防止条約の会議で、核兵器は非人道的なものだとして、いかなる状況でも使用すべきではないなどとする共同声明が提出されましたが、唯一の被爆国の日本はこの声明に署名せず、NGOなどから批判の声が上がりました。

この共同声明は、ジュネーブで行われているNPTの再検討会議に向けた準備会合で24日、南アフリカの代表団が提出しました。
声明では「核兵器の使用によって、直接に人が死ぬだけでなく、社会や経済の発展は停止し、環境は破壊され、将来の世代は健康や食糧や水を失うことになる」として、核兵器の非人道性を強調しています。
そのうえで、「いかなる状況でも核兵器を二度と使わないことこそが人類生存の利益につながる」として、核兵器の不使用を訴えています。
共同声明には74か国が名前を連ねましたが、唯一の被爆国である日本は署名しませんでした。
これについて、軍縮会議日本政府代表部の天野万利大使は、記者団に対し、「核兵器が使用された場合の影響が非人道的なものだという点では賛同している」としたうえで、「いかなる状況でも使用しないとしている点が、日本の安全保障政策と相いれない」と述べました。
日本がアメリカのいわゆる「核の傘」で守られていることを、署名をしない理由の1つにしたものですが、会議に参加しているNGOなどからは批判の声が上がり、ジュネーブの軍縮会議日本政府代表部の建物の前で、およそ50人が抗議活動を行いました。






  


テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

放射能が消えた?木村さんの農法について

2013.04.30 09:37|原発・放射能・原子力
黄金の金玉を知らないか?


放射能が消えた?木村さんの農法について


さて、祝 金玉ファーム。
我々のやる農法は 無農薬、無肥料栽培だと書きました。

農薬も使わない
肥料もやらない。
そんなこって、野菜できるの?
心配になる方もいると思いますが。

我々が目指してる農法について書いておこうと思います。

皆様は、木村秋則さんという方をご存じでしょうか。
以下のような本を書いてる方です。

奇跡のりんごで知られるおっさんですよね。



NHKでもとりあげられていました。



武田哲也さん主演の以下の映画のモデルとなった方のようです。
4804f94b0ac08cb86826ce17aef4c444.jpg

http://www.nippon-p.org/mov.html

この木村さんの肥料もやらない、農薬も使わない木村農法。
放射能が消えたという報告があるようです。


そして、今回フクシマのこの木村農法・自然栽培の「 田んぼ 」でなぞの おどろくべき現象が、報告されている
「百姓が地球を救う」この木村氏の著書によると自然栽培の木村農法で育てられた米に関して「同位体研究所で福島と宮城の自然栽培米を分析したところ、1ベクレルも 検出されなかったのです。(0以上1ベクレル未満)」と書かれている。さらには、「 特に福島県産のお米は1メートル離れたあぜみちで高い数値がでていたにもかかわらずわたしが指導する 田んぼ では検出されませんでした。」とまで書いてある! 
これには 驚き! である。木村氏の自然栽培の田んぼからは、放射線 が検出されないとのことである!
これは「奇跡」といえる出来事である。どうでしょうか?
木村氏はこの原因は はっきりとは解らないが、一般の田んぼよりも何倍も多く住むバクテリアが関係しているかもと話している。とにもかくにも この様な 奇跡的な出来事が、フクシマの田んぼで実際に起きていると言うのである。

※日本を守るのに右も左もない から抜粋
http://blog.nihon-syakai.net/blog/2012/12/002443.html



この木村さんの最新刊 
百姓が世界を救うという著作。

65465465465165112222.jpg


木村秋則さんの自然栽培  本山よろず屋本舗より

 20世紀の農業は、工業化されたものと言えると思います。
 大量の農薬、肥料、除草剤を撒いて規格化された農産物を大量に作るというのが基本でした。そうして撒かれる農薬、肥料、除草剤がそこで生産された農産物だけでなく、農地や河川などの環境を汚染していることは、多くの人が認めていることだと思います。
 こうした農法に対する反省から、近年は有機農法が注目され、化学合成された農薬や除草剤をいっさい使わない農産物が一部の人々に支持されるようになっています。私は(現在は)外食が中心なので、有機栽培された農産物を食べる機会はほとんどないのですが、それでも緑茶だけは有機栽培されたものを飲んでいます。値段は普通の物に比べて3倍近くするのですが、貧乏人の私のささやかな贅沢というか、有機に対するささやかなこだわりというところです。
 そんな折、木村秋則さんの『百姓が地球を救う』(東邦出版)を読んで、頭をガンとやられる思いでした。有機栽培もまた、環境を汚染するものであることや、一般に栽培された農産物と比べて、それほど優れた食品ではないことが書いてあったからです。有機は身体に良い物というイメージを持っていた私は、かなり驚きました。
 今回は、この木村秋則さんの自然栽培法を紹介したいと思います。

 私は知らなかったのですが、有機栽培の世界的な先進国はドイツだそうです。
 有機栽培に取り組んだことのある木村さんは、一度ドイツに行って学んでみないと思っていたといいます。しかし木村さんは、そのドイツでの講演会で有機栽培に対する強烈なパンチを浴びせることになります。
 そんな話題から紹介したいと思います。


 ・・・<『百姓が地球を救う』、p109~p115から抜粋開始>・・・

 有機栽培の世界的リーダーは、欧州一の工業国・ドイツです。オーガニック80年の歴史があります。
 世界141カ国に対して有機栽培の指導を行っている国ですから、わたしも一度は行って学んでみたいなあと思っていたところ、なんと同国の有機栽培認証団体・デメター(Demeter)から招かれ、農場を見学できることになりました。デメターは、ドイツのオーガニック製品を推奨・認定する団体でとても権威があります。そのデメターから講演まで依頼されたのです。小さな背中に日の丸を背負った気がしました。
 フランクフルトの講演会場に入り、まずドイツ語通訳の方と打ち合わせ。わたしは彼をあまり困らせないように、いつもの津軽弁をできるだけ標準語に近づけて話しました。すると通訳の方がいいました。
 「ありがとうございます。ただ、ひとつだけお願いがあります。日本人は悪い癖があります。結論を最後にいうことです。ドイツでは、結論は最初にいってください」
 確かに、官僚や政治家のように本題から外れた話を長々と聞かせるのは、わたしもよしとしません。忠告を受け入れ、満員の聴衆に向けて講演をスタートさせました。
 ところが、通訳の人が一向に訳してくれません。ちょっと困った顔をわたしに向けて、「ドイツ語にしていいですか?」と聞いてきます。
 「えっ?」
 「訳していいんですか?」
 「ええ」
 「本当に訳していいんですね?」
 3回も確認してきました。なぜ躊躇しているのかわかりません。聴衆も怪訝そうな雰囲気です。
 「どうぞ、訳してください。結論ですから、最初に伝えてください」
 そういうと、ようやく納得したようで、わたしの結論をドイツ語に訳してくれました。
 その瞬間、ドイツの人たちが一斉に大憤慨しました。ブーイングとともに、革靴でコンクリートの床を踏み鳴らすのです。音がだんだん共鳴して高くなり、会場は異様な空気に包まれました。通訳の方は、「ほら、ね。だからいったでしょ」といった風情で、ソソクサと舞台を降りてしまいました。
 それほどドイツ人を怒らせたわたしの発言、それは、
 「あなた方は間違っている。80年間、いったいなにをしてきたのですか?」
 というものです。
 講演の前に見学させてもらった有機栽培の農場で、彼らはピンポン球のような小さなジャガイモを手に乗せ、わたしに、
 「80年のあいだ、肥料もなにも使っていないから、これぐらい小さくなってもしょうがない」
 といいました。憧れのドイツは、「肥料がないから仕方がない」というレベル。もしかして研究があまり進んでいないのかと感じました。
 デメターの有機栽培をチェックしていくと、ひとつ、決定的な要因が欠けていました。わたしはキッパリいいました。
 「あなた方のジャガイモが小さいのは、土の温度が低いからです」

 地中の温度を測って考える

 実際にデメターの畑に穴を掘って温度を測ると、わずか10センチ掘っただけなのに地表面よりも8℃も下がりました。どんな野菜も冷たいところは嫌いなのに、その冷たいところに、深さでいうと10.5センチの地中にタネを蒔いたため、ピンポン球の大きさまでしか育たなかったのです。大規模農場でタネを蒔く場合、機械の都合でそのくらいの深さになってしまうわけです。
 わたしは農作物のために、ところかまわず穴を掘って温度を測ります。自然の山の場合、50センチ掘っても温度差は1℃あるかないかです。一般栽培の畑の温度を測ると、深さ50センチの土は表面の温度よりも8℃ぐらい低く、これまでに最もひどかったところでは12℃も低いことがありました。

 なぜそうなるかというと、ひとつは硬盤層(こうばんそう)という、硬い土の層の影響です。効率よく作業を進めるために、トラクターなど何トンもある重たい農業機械を畑に入れ、土の上を何度も行き来するうちに、土を固めてしまいます。確認できる表面付近の土はフワフワサラサラに見えても、10~15センチ下はカチカチになっているケースが多く、農作物の根はここを突き破ることができません。
 硬盤層ができるもうひとつの理由は、バクテリアです。肥料・農薬・除草剤を使うと、バクテリアが働かなくなります。
 地球上の人口はいま、70億人を超えたといわれています。では、バクテリアはというと、たったひと握りの土のなかに、60億とも70億ともいわれる数が棲んでいます。肥料・農薬・除草剤によって彼らがお休みしてしまうと、固くて冷たい土になってしまうのです。
 80年間もオーガニックに取り組んできたデメターの農場ですが、地中10~15センチには、以前に使われていた肥料・農薬・除草剤のせいでできた固くて冷たい土、バクテリアの活動が弱い硬盤層があったと思います。重たい農業機械で踏み固めていたのかもしれません。
 「そこまでわたしたちのやり方を批判するなら、あなたのやり方を見せてほしい。木村さん、この畑にジャガイモを植えてみてください」
 デメターの人から挑発されました。
 わたしは、彼らが10~15センチぐらいの深さにジャガイモを植えたのに対して、5センチ掘っただけの浅いところに埋めました。浅く植えるのは機械では無理なので、すべて手作業ですが、土のなかの温度がどれほど大切かを知っていれば、それは当然です。
 さらに硬盤層を壊せば完璧ですが、時間の関係でできませんでした。硬盤層の下にはあり余るほどの養分があり、根がそこまで伸びると効果はてきめんに現れ、農作物が思うように育つのですが……。
 わたしの植えたジャガイモがどんな姿で収穫されるのかを想像しながら、ドイツを発ちました。
 翌年の6月、デメターの畑で収穫されたジャガイモが送られてきました。同じ土に同じものを植えて、驚くほどの違いが出たわけです。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 木村さんの行なう自然栽培は、農薬はもちろん肥料も与えません。
 ここが有機肥料を与える有機栽培とまったく違うところです。農業従事者だけでなく、私達は農産物を育てるには、肥料が必要という固定観念を根強く持っています。その点で、木村さんの自然栽培には驚かされます。
 次に、木村さんが有機肥料の有害性に気付いたエピソードを紹介します。


 ・・・<『百姓が地球を救う』、p149~p152から抜粋開始>・・・

 わたしは自然栽培にたどり着く前に、有機栽培を経験しています。無農薬でリンゴを育て始めて2年は、化学肥料は使いませんでしたが、有機肥料=堆肥(バーク堆肥)を施していました。
 有機とは、「生命があるもの」と考えるとわかりやすいと思います。生命がないものでも紙、砂糖などは有機物ですが、いずれも安心感のある物質です。有機物は必ず炭素を含みますから、「燃やすと黒く焦げたり二酸化炭素を出すもの」と覚えるのもよいでしょう。
 無機とは、有機以外のもので、金属やガラス、気体などです。水や塩、二酸化炭素や酸素は無機物です。
 わたしは農薬を一切使わないと決意してから独学を始め、よく通っていた肥料・農薬販売店の社長さんから、
 「木村君、これ、読んでみないか」
 と奨められたJ・Ⅰ・ロデイルが書いた『有機農法』で、有機肥料を使う方法を学びました。
 牛、豚、鶏などの家畜のフンは動物性の有機肥料となり、葦(あし)などの植物、米ぬか、ナタネの油かすなどは植物性の有機肥料となります。
 わたしも有機肥料を作ろうとして、兄や仲間たちと一緒に堆肥場を設け、乾燥した鶏糞に稲藁や籾殻を混ぜたり、「リンゴに使うと甘くなるよ」といわれて魚滓(さかなかす)を入れたりしました。
 しかし、出来上がった堆肥をいざ畑に施すと、もう真っ黒になるほどアブラムシが大量発生するではありませんか。とても人力で処理できる数ではなく、殺虫剤で駆除するしか策がありませんでした。
 わたしは自分の堆肥のどこがダメなのかと、また手当たり次第に本を買って勉強しました。有機肥料の作り方使い方、堆肥の作り方、家畜糞尿について---いったい何冊読んだでしょうか。

 大自然にとっては堆肥も異物

 そんなとき、ニワトリを飼って卵を生産している知り合いの養鶏業者が、大量に出るうんちの処理に困り、自分が持っている山に穴を掘って生糞を埋めていると耳にしました。話を聞くと、満杯になるまで1年ぐらい使える大変大きな穴で、いっぱいになったら上から土をかぶせ、また近くに穴を掘って排泄物を埋めているといいます。
 「その山を見せてくれないか」
 しばらくして案内してもらうことになりました。
 「木村、ここだよ」
 現場に立って驚きました。その山には、草1本生えていないのです。土のなかには肥料ともいえる糞尿がたっぷりあるはずなのに、周辺の草木まで枯れているのです。見渡すかぎりのハゲ山です。なぜでしょうか?
 結論は、生糞は害があり、わたしが作った1年寝かせて1回発酵させた堆肥も「未熟な堆肥」ということでした。栄養分どころか、毒になるのです。4年も5年も冬を越して完熟させないと、有機肥料といえども虫を呼んでしまい、農薬に頼らざるを得なくなるのです。
 たとえば二十日ダイコンのタネを蒔いて、虫1匹来ずに二十日ダイコンができたら、使ってもいい完熟堆肥の証拠です。あるいは堆肥を一斗缶に少し入れて水を満たし、金魚を泳がせて1週間以上生き続けたら、その堆肥は完熟している安全な栄養分ですから畑に使ってもいいのです。
 でも、4年も5年もかけて堆肥を作るのは大変です。途切れることなく作るとなると、広いスペースが必要で、個人で行うのは困難です。完全な有機堆肥作りは諦めるしかありませんでした。
 わたしは思いました。
 「化学肥料も堆肥も、無機も有機も関係ないのではないかな。そもそも土のなかに人間の知恵をつぎ込もうとすると、必ず自然はしっぺ返しを用意してくる……」
 畑が「騙されないぞ」といっているような気がして、わたしは以後、肥料も一切与えない方法を模索し始めました。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 自然栽培と聞くと、人間の手をいっさい入れないで放置しておくようなイメージがありますが、木村さんの言う自然栽培はそうではないといいます。
 子供を育てる親のように、庇護が必要な幼少期は愛情を持って育てる必要があるといいます。農薬は肥料をいっさい使わないかわりに、その農作物が持つ性質を理解し、その作物が育つのに一番の環境を整えるのが人間の仕事だといいます。木村さんは自然栽培を簡単な数式で示しています。

 自然栽培 = 今までの農法 - 農薬・肥料・除草剤 + 人の「目」と「手」

 こうして自然栽培で育てた作物は、腐らないといいます。
 放置しておくと腐らずに“枯れる”んだそうです。以下は、枝豆の腐敗実験の写真です。左がこれまで行なわれてきた通常の一般栽培のものです。真ん中が有機栽培で育てられたものです。そして右が木村さんの自然栽培で育てられたものです。それぞれ15日間放置して、どのように変化するかみたものです。p219から抜粋して紹介します。

 農作物が腐らないという単純な事実に驚いてしまいます。
 20世紀の大量の農薬・肥料・除草剤を使う以前の時代の農作物は、こうしたものだったのかもしれません。だとすると現代に住む私達は、本来の農作物とはかけ離れたものを食べていると言えるかもしれません。
 次に、本題とは離れますが、自然栽培が子供の成長にも貢献するというエピソードを紹介したいと思います。

 ・・・<『百姓が地球を救う』、p185~p189から抜粋開始>・・・

 至極の体験が心を変える

 少年院に行ったこと、ありますか? わたしはあります。入れられたのではありません、ちょっと前に授業に伺ったのです。
 少年院には12歳から16歳未満の子どもがいる初等少年院と、16歳から20歳未満がいる中等少年院、そして犯罪傾向が高まった子どもを収容する特別少年院、また、心身に問題がある子どもが入る医療少年院があります。
 わたしが訪れたのは16歳より下の子どもたちが集まっている初等少年院でした。
 「更生教育のために農業をやらせたいんです。教えてやってくれませんか?」
 院長さんからそんな依頼が来ました。
 「革製品の加工やクロス貼り、クルマのタイヤ交換などをやらせていますが、なにか違うんじゃないかなあと。カリキュラムをただ消化しているだけになっているようで……」 とのことでした。
 一方、農業は土作りから始めて、環境を整備し、タネを蒔いて、農作物を一から育てなければなりません。そこには必ず心が伴いますので、若い人の人間形成には最適です。人作りができるのです。
 ただ、わたしにとっては思ってもみなかった依頼でもあり、さすがにちょっと躊躇しました。聞くところによると参加するのは男女合わせて18人。生意気盛りの少年少女を相手に百姓仕事を教えるのです。わたしにできるでしょうか……。

 意を決して臨んだ1回目、地域の方々が開放してくれた近くの畑に出かけて、みんな一緒に野菜のタネを蒔きました。やんちゃ坊主おてんば娘たちは、はっきりと壁をわたしに向けて作っていました。
 2回目、「また百姓仕事かよ」といった雰囲気がアリアリで、初回よりもさらに険悪です。
 しかし3回目、ぞろぞろと畑に出た瞬間、子どもたちの目がパッと輝きました。態度も一変、身体中に元気が漲(みなぎ)ったのです。
 芽が出ていたのです。自分たちの蒔いたタネが発芽したのです。
 「ねぇ、先生! どうしたらいい? 水やる?」
 「ここに虫がいるよ。捕る?」
 わたしはようやく先生に昇格できました。
 生徒たちに伝えたのは、愛情を持って育てなければいけないということです。野菜に対しても、土に対しても、虫に対しても、すべてのものに。
 まだ本当に小っちゃな芽が一人立ちできるまで守ってあげること、土が水分や養分を供給し続けられるように注意すること、鳥や虫がやってきて食べてしまわないように観察すること、などなど。悔しい結果にならないように、みんなで気持ちを込めて育てなければなりません。また、肥料や農薬を使ったら簡単にできますから、それに頼らずに、
 「農作物の持っている力を信じて、なにも与えずに育てなければならない」
 と、何度もいって聞かせました。

 4回目、5回目と授業を重ねるうちに、生徒たちは自分から近づいてきて、
 「木村先生、ぼくが育てたトマトが実りました」
 「わたしのトウモロコシもできたんだよ」
 といいにくるようになりました。
 そして最終回、収穫の日。
 大豆やトマト、トウモロコシなどをそれぞれが畑でもいで、テーブルを囲んでみんなでいただく瞬間がやってきました。
 ところが、だれひとり食べようとしないのです。
 自分が育てた野菜がいとおしくて、手をつけられないのです。
 「それちょうだい」
 「お前の食べさせて」
 みんな、自分の野菜はあとにして、ほかの人が育てたものを食べようとします。そして口々に、「旨い」「おいしい」「甘い」と驚嘆の声をあげ、ようやく自分が育てたものに手をつけました。
 神妙な顔になって、慈しむように口に入れました。
 「おいしい!!」
 「いやぁ、サイコ!!」
 明るい声が響きました。みんな、いい笑顔。これぞ至極の食です。
 肥科や農薬を一切使わない自然栽培には、自分の力を信じさせる効果や、人の心を豊かにする可能性があるのではないかと思います。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 こうした木村さんの自然栽培ですが、単に一個人の農法というわけではなく、このところ着実に広がり始めているといいます。農業の専門家の中には、木村さんの自然栽培を第三の農業革命ではないかと言っている人もいるようです。FAO(国連食糧農業機関)によって認められたというのも大きいのかもしれません。


 ・・・<『百姓が地球を救う』、p202~p204から抜粋開始>・・・

 第三の農業革命「自然栽培」

 自然栽培が知られるようになったのは、NHK『プロフェッショナル 仕事の流儀』でわたしのリンゴ畑が放映された4~5年前からです。まだ実施している人はそれほど多くないのですが、2011年に入ってから大幅に増え、学識者の一部から、
 「これは第三の農業革命である」
 といわれるようになりました。
 それによれば、農業革命のいちばん初めは「緑の革命」です。
 化学肥料、化学農薬、農地整備、品種改良により、収量の増加と安定供給を成し遂げました。
 第二の革命は、1990年代に販売が始まった「遺伝子組み換え作物」です。
 大企業や産学連携によるバイオテクノロジーで、人工的なおコメ、穀物、野菜、果物を作り上げました。
 第三の革命は、21世紀の「自然栽培」です。
 生物の多様性と関係性を利用し、無肥料・無農薬・無除草剤での栽培を可能にしました。

 そして2011年、わたしが指導した自然栽培の実験田がある石川県能登地域と、新潟県佐渡市という2つの地域が、FAO(国連食糧農業機関)によってGIHAS【ジアス】(世界重要農業遺産システム)に認定されました。日本初、先進国で初めての快挙です。
 認定にあたり、わたしの自然栽培は肥料・農薬・除草剤を使わない『自然栽培AKメソッド』(Natural Farming AK Method=木村秋則式)として紹介されました。津軽のいちリンゴ農家の栽培法が、能登の水田による実績で、国連機関に認められたことは画期的です。
 自然栽培の正当性や将来性、そして責任をひしひしと感じた瞬間でもありました。

 ・・・<抜粋終了>・・・


 最後に木村さんの自然栽培に取り組んだ農家の心温まるエピソードを紹介したいと思います。


 ・・・<『百姓が地球を救う』、p208~p211から抜粋開始>・・・

 これは、わたしに賛同してくれている、ある一家の話です。
 そこのオヤジさんが、
 「これからは自然栽培で、肥料・農薬・除草剤を使わないおコメ作りをやっていこう」と一大決心しました。そして、
 「木村、教えてくれ」
 ということでスタートしました。
 初めの年はよかったのですが、自然栽培の性質上、やはり2~3年目から減収し始めました。なにをやっても収量は上がりません。15町歩あった田んぼのうち、7町歩は売りに出さざるを得ませんでした。
 底なし沼です。黙っていても沈むのですが、もがけばもっと早く沈みます。時間が解決してくれるのをじっと待つしかないのですが、それが人間には難しいわけです。リンゴが実ってくれるまでに木村家が味わった思いを、オヤジさん家族も味わっていました。
 日に日に高まる険悪な雰囲気のなか、もともと自然栽培に賛成ではなかった息子さんと大喧嘩になってしまいました。
 「オヤジー! もう、こんな栽培やめろ。俺はきょうでやめる!」
 そういって跡取り息子は家を出ていってしまいました。
 それっきり音信は途絶え、生きているのか死んでいるのかもわからないまま5年の歳月が過ぎました。
 その息子さんは、東京都内の食品会社でアルバイトをしていました。
 ある日のこと、係長から、
 「このおコメはとても特別なものだから、くれぐれも丁寧に扱ってね」
 といわれてコメ袋を任されました。
 「ハイ」と息子さんは答えましたが、
 「俺だってむかし、コメを作っていたんだよ。いったいどこのだれが作ったものだよ、そんな大切なコメって?」
 と思い、生産者名が書いてあるラベルを見ようとおコメの袋をひっくり返しました。
 そこに書かれていた名前を見た途端、涙が出てきて、気づくと膝をついておコメに頭を下げていました。書かれていたのは、まざれもなく自分の父親の名前だったのです。
 翌日、すぐに退職を願い出てアパートの部屋を片づけると、故郷へと急ぎました。
 何年かぶりに戻った実家で父親に謝罪しました。母親も快く迎え入れてくれました。
 いまは、親子仲良く一生懸命にコメ作りしています。泣く泣く手放した田んぼも買い戻し、23町歩まで増やしたといいます。
 いつからか、生産者と消費者の距離はとても遠くなってしまいました。でも本当は、おコメひと粒、ご飯いち膳に大きなドラマがあるわけです。
 どうか、皆さんにもそれを味わって食べていただければ嬉しいです。

 ・・・<抜粋終了>・・・



バイオ農法。微生物農法。
現在、我々はいろんなところに出向いて研究しています。

先日も柳田ファームさんという複合発酵技術をやっているところにも行ってました。
柳田ファームさんは微生物の複合発酵技術の実証研究を40年続けてきた高嶋博士の理論をもとにやっているとようです。
http://yanagida-farm.com/top.html

他にも地球家族さんとか
http://chikyukazoku2020.com/

これについて詳細はまた後に書きますが。

日本にはいろいろと本来の自然農法。本来の野菜作りを始めている人達がいる。

放射能だってなんとかなる。
自然と共生できる技術、科学がある。

今の状況はそれに気付かせるためにあるのかもしれない。
一切無駄のない神一厘の仕組み。

だから、そういう農法にチャレンジしようと思っています。

金玉ファームの状況はここで今後もアップしていこうと思っています。

本当にありがとうございますた。






  


テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

放射線を遮蔽するタングステン粒子をブレンドしたアラミド繊維を帝人が開発

2013.04.30 08:41|原発・放射能・原子力
GIGAZINEさんより転載


放射線を遮蔽するタングステン粒子をブレンドしたアラミド繊維を帝人が開発




6141188945_b626d32cf2_o.jpg

By n8kowald

タングステン粒子をブレンドした放射線(X線、γ線)遮蔽繊維を帝人が開発しました。帝人では長期耐熱性や難燃性に優れるアラミド繊維をライフプロテクション分野に提供してきましたが、東日本大震災以降は放射線遮蔽素材の開発に取り組んでおり、その結果として生まれたもの。

帝人 | ニュース | 放射線を遮蔽するアラミド製品の開発について
http://www.teijin.co.jp/news/2013/jbd130424_35.html
snap0588.png

「アラミド」というのは高耐熱性を持つ高強度のエンジニアリングプラスチックのことで、船体や飛行機・防弾チョッキ・ヘルメットなどに用いられているケブラーや消防服などに用いられているノーメックスなどはアラミドを繊維化したもの。アラミド繊維のうち、パラ系は高強度・高弾性、メタ系は耐熱・耐薬品製が特徴です。

帝人グループでは、パラ系アラミド繊維の「トワロン」「テクノーラ」、メタ系アラミド繊維の「コーネックス」を扱っていますが、今回開発した放射性遮蔽アラミド繊維は、この「テクノーラ」と「トワロン」にタングステン粒子をブレンドして作ったもの。タングステンが用いられているのは、放射線遮蔽素材として知られる鉛は環境への影響から世界的に規制の動きがあり、一方でタングステンは放射線遮蔽能力を持ちながらも人体・環境への影響が低いため。

一般的にタングステンのような高比重の金属を繊維に配合して製糸するのは困難で、また、配合しても強度や弾性率などが損なわれることがあるために実用化に至っていませんでしたが、帝人はテクノーラとトワロンの紡糸方法や素材特有の物性を活かすことで、実現にこぎ着けました。

「テクノーラ」の場合は、これまでに培ってきたポリマー技術と紡糸技術を駆使することで、繊維内にタングステンを均一に配合。
6546666464664646664444.jpg

「トワロン」の場合は、パルプ形状にすることでタングステン粒子と高い接着性を持たせることができ、さらにシート化技術と組み合わせることでタングステンを均一に分散させたペーパーを生成することもできるとのこと。
02.jpg

完成した製品は、配合するタングステンの量に応じた放射線遮蔽率を実現しながら、ポリエステルなどを上回る強度を持ち、織物やペーパーなので柔軟性や加工性に優れていて鉛板やコンクリートでは実現できないフレキシブルな形状での利用が可能、という特長を持っているとのこと。

これらの製品について、5月上旬からサンプル提供を開始、放射線量の高い場所で使用される防護医療やシート材用途への展開を目指していくそうです。






  


テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

【核】ドイツ報道「北極海に放棄された旧ソ連の原子力潜水艦はいつ爆発するかわからない危険な状態」

2013.04.30 07:02|原発・放射能・原子力
低気温のエクスタシーbyはなゆーさんより転載


【核】ドイツ報道「北極海に放棄された旧ソ連の原子力潜水艦はいつ爆発するかわからない危険な状態」



在独法人emi kiyomizuさん
https://twitter.com/kiyomizu5
による暫定訳。


ドイツARTEテレビが報道したドキュメンタリーフィルムを2つ和訳いたしました。
とても重要な内容です。このフィルムはドイツ語ですが、画面を見るだけでもかなり理解できます。
北極海やヨーロッパの海が汚染され続けられていること。放棄されたソ連の核原子力潜水艦は核分裂が始まっており、いつ爆発が起こるか知れないと言う事実。膨大な健康被害が発生することに驚愕いたしました。
少しでも真実を知ってもらいたいと思い,和訳をいたしました。
イギリスの活動家が,世界中が,原発の放射線と廃棄物で汚染されていると言う言葉は事実であると思います。
子供達の生命を守る為に私達は,原発廃止の戦いを続けなければならないと思います。




1: Versenkt und Vergessen(海に放棄された10万トンの核ごみと海に放棄された3つのロシアの核原子力潜水艦,この恐ろしい出来事は,忘れられている)

http://videos.arte.tv/de/videos/versenkt-und-vergessen--7447586.html

映画監督,Thomas Reutter さん,Manfred Ladwig さん,ドイツグリーンピースの活動家 Harald Zindler,さんが,海に放棄された核廃棄物の樽を調査するため、特殊な水中カメラで記録したドキュメンタリーフィルムである。チームはイギリス海峡で沈没した核廃棄物も発見している。

このドキュメンタリーフィルムは、原発関連企業や各国政府(IAEAも含む)が無責任に海に核廃棄物を放棄し、今日では、違法犯罪と云える事を示している!

1995年以来、海に核廃棄物を放棄することは、世界で禁じられている。しかし、まだ陸から海に放射性汚染水を排出することは許可されている。

毎日何かが起こっていると言うことである。(環境破壊と健康破壊がされている)

再処理工場からは液体の核廃棄物がアイリッシュ海(アイルランド島とグレートブリテン島を隔てている海)と英仏海峡に排出されている。

核汚染よる長期的な影響はほとんど不明である。それについての情報もほとんどないことは偶然ではない.

その理由は,指導者たちが,長年にわたって原子力の危険性を軽視し,事実を隠蔽してきたのである!


1970年にフランス・ドイツ・イギリスの原発から出た10万トンの核ゴミが海に放棄され、ドイツグリーンピースがそれを阻止する為の行動を開始した。

だが原発産業界はそれを無視した。セラフィールドの核燃棒も海に放棄されている事実を誰も知らない。

(核ゴミを放棄させられた船員達に、高放射線で危険であることも説明されなく、何の防備服も与えられていなかった)

海に放棄された核ゴミについては、この12年間、何も調査されていない。

ドイツグリーンピースは昨年1年間、北極海の海底に放棄された10万トンの核ごみと海底に放棄された3つのロシアの核原子力潜水艦の調査をおこなった。

1つの核原子力潜水艦は核分裂を始めていることを発見した。
(また、核ごみ,8つのドラム缶を海底から運びだし測定したら,高い線量=プルトニウム=が検出された)

核分裂を始めている核原子力潜水艦が爆発したら,広大な環境汚染がされる.考えられないほどの,健康被害が起こるとドイツグリーンピースの活動家は述べている。

ドイツからノルウェーまでセシウムやプルトニウムが検出されている。

ヨーロッパそして世界中が汚染されている状態である。

ドイツグリーンピースの活動家は「原発産業界に対して責任を追及したい,だが,誰も責任を持とうとしない!」と怒りを述べた。


ジャーナリストはIAEAの幹部に面談した。

海底に放棄されたロシアの核軍艦が核分裂を始めていること、放棄された核ゴミが腐敗している事を伝えたが、IAEAの幹部は「放射線汚染された核軍艦を取り出しても,どこに運んだらよいのか,そんな場所は無い,だから,海底に放置して置くしか,方法はない」とコメントした。

ジャーナリストが「北極海に放棄された核原子力潜水艦が核分裂し,爆発し環境汚染することを、貴方はどう考えるか?」と質問したが「そのような物理的なことには,答えられない」と述べた。
(非人間的で,無責任な回答であった.)

物理化学者クリス・バズビー博士が、セラフィールドに近いALDERNEY島の住民たちの白血病の発生率が他の地域の住民よりも10倍も高い事実を報告した.


"住民からの情報.白血病の例"
ALDERNEY島の12歳の子供は白血病.(幼児のとき,毎日海岸で砂遊びをし,放射線が原因であると母親は話した.)
もう1名,幼児のとき,白血病になり現在(19才)の現在も白血病である.
脳癌が2名.
セラフィールドでは7歳の子供が骨癌.
(病気のデーターは当局が秘密にしており,これ以上の事実を知ることは困難である.)


バズビー博士は,海岸の土壌から,高いセシウムと高いフ゜ルトニウムの放射線量を検出した.(プルトニウム106ベクレル/kg,セシウム204ベクレル/kgである)

毎日,海岸の土は削り取られているが,毎日,海岸からプルトニウムが検出されている.

セラフィールドでは,人々の体や歯、さらに家の中のホコリからもプルトニウムが検出されている.

だが,当局は,何も問題はないと答えている.住民の健康被害についても,興味を示していない.

そして、セラフィールドは清潔な街だと宣伝されている.

クリス・バズビー博士は,ALDERNEYは非常に危険であり,海岸の砂の放射線が体内に吸入されると,癌になると警告した.
又,土壌にしみ込んだ放射線は濃縮され,より高い放射線量になると述べている.


ドイツグリーンピースの活動家は、ヨーロッパの各地域の海草の放射線測定をし,海草からは、アレバ社が発表した放射線量より5倍も高い放射線量を検出した。また、ミミズは通常の規定値より、2000倍から3000倍も放射線汚染されている事を発見した。


原発から排出された放射線汚染水はセラフィールドからノルウェーまで流れ、ヨーロッパの海は汚染され続けている。

魚が汚染され、人間にとって食物連鎖が起こることは確実である。

そしてセラフイ-ルト゛は今までに,500kgのプルトニウムを海に排出している.(この事実は誰も知らない)


ジャーナリストはロンドンの保険省の幹部に面談した.
保険省の幹部は「ALDERNEY島やセラフイ-ルト゛で発生している白血病については原発による,原因ではない」とコメントした.
英国の保険省のメンハ゛-は,ICRPのメンハ゛ーでもある.ICRPが基準値値を決め,英国の保険省が,それに従っている.(まさに原発マフイアである)

英国グリーンピースの活動家は「私は激怒している!人々は,何も事実を知らされない。すべてロンドンの当局が決めているのである!」と話した.


ドイツ放射線核防護協会の核専門家は「原発を建設するときの報告書には,原発エネルギーは安価であると報告されているが,リスクは,原発の放射線により,癌,白血病,甲状線癌,その他の病気が発生し,短命である」と文書で報告している.

政府は原発による健康影響を知っているのである.でも,政府は,経済的に思考し,物理的(原発による健康影響)は、全く考えようとしないと批判した.





2: Atomfriedhof Arktis

http://videos.arte.tv/de/videos/atomfriedhof-arktis--7447590.html

ドキュメンタリー・フィルム「核廃棄物の墓場・北極海」


17万トンの核ゴミ.19隻の核廃棄物船,14基の古い原子炉,3つのロシアの核原子力潜水艦が,北極海に放棄された.

1993年に,ロシアの船が,日本海で核廃棄物を放棄するのを,4人のグリーンピースの活動家達が止めようと行動した。そして、放棄される核ゴミの放射線量を測定しようとしたが、彼らは水ホースで攻撃され、放射線は測定できなかった。ロシアの船員は、誰も放射線防護服を着用していなかった.

その後も、ロシア船AMPYは、放射線汚染水を200億リットルも北極海に投棄している。

ロシアの核専門家は,放棄した核廃棄物で,年間3・7兆ベクレルのセシウムで海が汚染されていると推算した.

だが、ロシア政府は「何も危険が無い,我々は核原子力潜水艦を引き上げる計画をしている」と公式発表している。

ドイツの放射線防護協会の核専門家RENNENBERG氏は,放射線災害は始まっており,ロシアの原子力潜水艦から,放射線は漏れ,海は汚染され続けていると述べた.

ノルウェーの海は,どのくらい放射線汚染されているのか,誰もシナリオを語ることができない。恐ろしいことである。


北極海は、タラの水揚げで世界で最も重要な漁場である。ここから、魚がヨーロッパに送られてくる。
しかし、海底は核廃棄物で汚染され危険な状態である.

放棄されたロシアの原子力潜水艦内に,1000個の金属製の箱があり,その箱には放射性廃棄物と使用済み核年棒が保管されている。
北極海でロシアの核廃棄物が処分されたことは,秘密軍事で推進され、記録もされていない。

ロシアの核原子力潜水艦のエンジニアであるアレキサンドラ・ニクティンは、放棄されたロシアの原子力潜水艦が,北極海を汚染をする事をソ連で公式発表し、ソ連警察から,スパイと思われ逮捕され,10ヶ月拘束された.

科学者たちの国際チームは、3つの古いソ連の原子力潜水艦が放棄された,最も危険な場所を見つけて、現在,地図を作成しようとしている。

ある,ソ連の陸軍関係の男性が,我々に証拠になるCDを提供してくれた.そのCDは,放棄されたロシアの原子力潜水艦が,いかに錆びれ,塩水で腐食されているか写し出されている.
(彼の立場が危険なので,彼の顔写真は見せることができない,又,名前も匿名である.)


潜水艦の外側は、驚くほど錆びれ,水中写真で、外側の亀裂を写している。多くの場所が塩水で腐食されている.
長年,放射線が漏れていることが事実であることは,測定結果が示している.

ロシアの専門家は、放棄された原子力潜水艦が,制御不能な核連鎖反応が起こることを警告している.


ドイツの放射線防護協会の核専門家RENNENBERG氏は,放棄されたロシアの原子力潜水艦は,短期間に,核分裂が起こり,大災害が起こる可能性が高いと話した.

19995年,放棄された原子力潜水艦に,放射線が漏れないようにチタンのドアが取りつけられた。
(チタンで30年間だけ放射線が防護される。30年後に再度、取りつけなければならない)

ロシア当局は、少なくとも2014年までに,3つの原子力潜水艦のうち2つを,海底から引きあげたい旨を報告しているが,実際にそんなに早く実現できるのだろうか?

(IAEAの幹部は,ソ連の核原子力潜水艦を,海底から引き上げることに反対している)
取りだすことは,労力は膨大で,核年棒が破損する可能性があり、危険な行為である.

しかし、現在まで,原子力潜水艦を取りだすための,ロシア政府の動きは全く無い.
(ロシアの原発企業が,放棄された原子力潜水艦のうち1つを取り出すための計画文書と、その費用は216億ドルかかることに関してロシア政府に計画書を提出しているが、政府からは何の返事も無いと話した)

ロシア政府は「今すぐの危険はない」と公式報告をしているが、ロシア政府内部文書には「環境の大災害が差し迫っている」との真実が書かれている。






  


テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

米国で”モンサント保護法”が成立 危険なGM作物拡散を防ぐ裁判所の能力を剥奪

2013.04.29 22:02|健康・病気・医療
農 業 情 報 研 究 所さんより転載


米国で”モンサント保護法”が成立 危険なGM作物拡散を防ぐ裁判所の能力を剥奪



米国議会とオバマ大統領が、連邦裁判所から遺伝子組み換え(GM)作物の拡散を防ぐ能力を剥奪することを意味する条項を含む法律を承認した。

 活動家が”モンサント保護法”と呼ぶこの条項は、米国農務省(USDA)に対し、裁判所がGM作物の環境影響審査が間違っていると判断した場合でも、農業者が当該作物を引き続き栽培することを許容する一時的許可を出すように要求している。

 活動家によると、モンサント社が少なくとも1年前から議会に働きかけていたこの条項は、587頁の財政支出法案に埋め込まれており、下院は3月6日、上院は3月21日に通過、大統領はその五日後の3月26日に署名した。それは、栽培承認の決定が無効とされた場合でも、農務長官は、農業者、栽培者、農場事業者、または生産者の要求に基づき、ただちに一時的許可または一時的規制解除を与えるものとすると定めているということだ。

  U.S. Activists Outraged Over So-Called ‘Monsanto Protection Act’,IPS,4.28

  世界に冠たる民主主義国を自負する米国、企業の要請があれば三権分立原則さえ放棄する金儲け、経済以外、何も考えられない世界になったのだろうか。日本もご用心、ご用心。






  


テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

アリゾナの路上で「マリオ」の”?ボックス”が見つかる、不審物として警察出動の大騒ぎに

2013.04.29 21:01|未分類
マニタメBLOGさんより転載


アリゾナの路上で「マリオ」の”?ボックス”が見つかる、不審物として警察出動の大騒ぎに



supermariobox.jpg

ゲームを遊んだことの無い人でも一度は見たことがある「スーパーマリオ」の“ハテナボックス”。?のマークが描かれたレンガを叩くと金貨やパワーアップの道具が手に入るというお馴染みの登場アイテムの1つですが、先日アメリカ・アリゾナ州の路上に突如ハテナボックスが出現し警察が総出動する騒ぎとなったそうです。


住宅地の道路の真ん中にポツンと置かれているところを近隣の住民が発見しそのまま警察に通報。15日に発生したボストンマラソンの事件も影響してか、ボックスに爆発物の疑いが掛けられ警察と共に特別な爆発物処理ロボットも出動する大騒動に。幸いにも中身は空っぽで事件性は一切無かったようですが、誰が何のために路上に置いたのかは謎。

今回の件は一見ただのイタズラとも取れますが、このニュースを見た海外のネットユーザーからは「何かあってからでは遅い。何も無ければそれでいい。」「笑い話で済んで良かった。」といった声が集まっており、先日の爆発テロ事件が国民に残した大きな爪あとも改めて伺える出来事ともいえるでしょう。









  



テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

ボストンマラソン爆破事件・・・本物の犯人の映像があります。

2013.04.29 20:30|未分類
日本や世界や宇宙の動向さんより転載


ボストンマラソン爆破事件・・・本物の犯人の映像があります。



以下のビデオに本当の犯人が映っています。ビデオが時々固まってしまいますので観にくいのですが。。。最初の画面に犯人が映っています。黄色い〇で囲んであるのが犯人の1人です。彼は黒いTシャツと短パンをはいています。この男は、やはりあのサウジアラビア人です。最初に当局が容疑者として逮捕した男ですが、その後病院に搬送され、そこでミッシェル・オバマが面会した後に速やかにアメリカを発ちました。サウジアラビアに帰っていったのでしょう。彼の父親は石油王でありアメリカの経済をも影響を及ぼすほどの力を持っているそうです。もう1人の犯人はビデオが分かりにくかったために確認できません。
http://beforeitsnews.com/alternative/2013/04/real-bomber-caught-on-video-2631140.html
(ビデオ)
FBIがどのようにチェチェンの兄弟を容疑者に仕立て上げてか。。。徐々に分ってきました。以下のビデオに芯班員が映っています。









  


テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

ボストンでのテロリズムが、自作自演であると取沙汰されている

2013.04.29 20:01|未分類
独りファシズムVer.0.1さんより転載


ボストンでのテロリズムが、自作自演であると取沙汰されている



ボストンでのテロリズムが、自作自演であると取沙汰されている。

狂信的なイスラム原理主義者が実行犯であり、市警察と派手な銃撃戦を展開し、逃亡劇の末に射殺されるという、ハリウッド的世界観を体現した予定調和だ。私的見解だが、これも米国というグローバル資本の傀儡国家が、歴史に意匠し続けてきたフィクションのひとつに過ぎないのかもしれない。

すでにウエブは事件の矛盾点を指摘する情報群で溢れかえり、その真偽は個々の判断に委ねられているのだが、いずれにしろ米国の政財界はテロリズムに沸き立ち、興奮を隠し切れないのであり、9.11以来となる投機的ユーフォリアが惹起されている。

オバマ政権の重要課題が、2001年の同時多発テロを契機に制定された「愛国者法」の、時限法から恒久法への改変であったことは周知のところだ。これらの法案群が国民監視と言論統制を目的とし、つまり人権抑圧の暗黒法であることから州議会の反発が高まり、過激な市場原理主義を忌避する潮流とともに、合衆国から離脱する動きすら見られたことから、制度の強化が喫緊であったわけだ。

今回のテロを根拠として、社会治安を名目に「愛国者法」の関連法案を、逐次的な成立に持ち込むことが可能となるのであり、国民生活が全領域的に当局の監視・統制下に置かれることは間違いないだろう。つまり爆破事件とはそれを国民合意とする世論形成にむけ、エスタブリッシュメントが待望した現象であり、「衝撃と恐怖によって生じる精神の空白を突いて、平時では不可能な社会改革を達成する」という、フリードマン理論の実践そのものであるわけだ。

米国という我々の宗主国もまた、グローバル資本という「帝国」に与しているのであり、支配体制の維持には反乱分子の抑圧が絶対であることから、国民個々の動向が厳戒な管理下にあることは語るまでもない。現実として、9.11以降は全米に3000万台以上の監視カメラが設置され、それはインフラや公共施設だけでなく教育現場にまで及び、反体制あるいは反戦的な説話者が拘束される事態となり、つまり思想すら取り締りとなっているわけだ。

その挙句、簡易化された裁判制度により、成人男子の実に100に1人が刑務所に収監状態であるのだから、人権抑圧のレベルは北朝鮮など第三世界と大差ないだろう。

資本専制がテクノロジーによって国民を抑圧するというオーウェル(1984)的世界が現出しているのであり、むしろTCP/IP(インターネット・プロトコル)によるインフラストラクチャー(社会基盤整備)は、当初よりそれを目的としていたと捉えるべきなのかもしれない。すでに全てのメールは検閲可能であり、全ての通信は傍受可能である。

我々は自説や信念に拠るのではなく、経済という現実に目を向けるべきなのだと思う。セキュリティ(国民監視)とは金融とITに継ぐ米国の基幹産業なのであり、利潤総額が20兆円ベースに達する成長産業なのであり、業容はビッグスリーなど自動車産業を超越するだろう。

ブッシュ政権は究極にまで行政機能の民営化を推進したのだが、9.11を契機として社会治安すら全面的にアウトソーシング(外部委託)したのであり、つまり惨事便乗型ビジネスの核心として、「対テロリズム・マーケット」が形成されているわけだ。

マイクロソフト、ヤフー、グーグル、オラクル、サンマイクロなどIT企業群が監視や検閲システムという‘ソリューション’を提供し、ケロッグ・ブラウン・ルートなど傭兵企業が拘束、尋問、拷問などに特化した‘人材’を派遣するという具合に、すでに産業構造は多層化し、分業化されているのだが、この市場もまたネオ・コンサバティブ(市場原理主義を唱導する新保守主義者)の牙城であることは語るまでもない。

注目されることはなかったのだが、昨年7月から格別な好材料がなかったにもかかわらず、テルアビブ証券所の主要株式100が上昇に転じ、以降その水準を保ち続けている。イスラエルは対パレスチナ戦で培った国防システムを基幹産業化し、2003年以降は輸出額の60%以上を占めるに至っているのだが、上昇した株式の大半もセキュリティに関連した銘柄だ。

また、これに同期して昨夏から米国アクシオム社の株式が約25%上昇している。同社は3億人の米国民に関する個人情報のデータベースを構築したのだが、クライアントである国防総省の要求に応じて、カスタマイズした情報群を納入することは公然だ。対テロ予算に連動して業容が拡大するのだから、ステークホルダー(関係者)がなんらかのテロ情報を事前にキャッチしていたという、インサイダー疑惑は払拭できないだろう。いずれにしろ、その他のセキュリティ関連企業の株価チャートを精査すれば、さらに精度の高い仮説が導出できるはずだ。

あらためてテロ事件の本質が、純然の破壊活動であったのか、経済勢力による「有効な危機の創出」であったのかは個々の判断に委ねられるが、確かであることは、今後さらに米国社会は国民監視と言論統制が強化され、それに帰順する我々の社会もまた、酷似したディストピア(抑圧の体系)に改編されていくことなのだと思う。






  


テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

山本太郎氏がブログを開始

2013.04.29 17:45|未分類
山本太郎氏がブログを開始



山本太郎 オフィシャルブログ 
http://ameblo.jp/yamamototaro1124/entry-11488970123.html
メンドクサガリの僕が。

理由は簡単。

若い人たちに伝えなきゃならない事がある。

自分の未来が脅かされている事に沢山の若者が怒り、行動して貰わなきゃならない事があるから。

オシャレを楽しんだり、美味しい物を食べたり、恋をしたり、家族を持ったり、自分の夢を叶えたり・・・
人生もっともっとエンジョイしたいよね?

でもこのままじゃ、無理。

今日本は将来が閉ざされてしまう「崖っぷち」に立たされてる。

福島の東電原発事故で東日本の広範囲に渡り、放射性物質がばら撒かれ、汚染された。
もちろん汚染は一定ではなく、ホットスポットとして点在しています。

でも国は汚染の測定も満足にせず事故がなかったかの様に振る舞い、その被害を過小評価、汚染が確認できる場所でも「安全」としている。

なぜそんな事をするのか。

汚染が広く拡がっている事がバレると、日本の資産価値が下がるだけでなく、何千万人単位で人々を避難させ、
「補償、賠償」をしなければならなくなる。

経済破綻してしまう。

だから、安全基準を引き上げ、「安全、直ちに影響ありません」と

人間の命を切り捨てる事にした。

命を守って経済破綻、であればいつかやり直せる。
けど、汚染地から人々を出さずにいれば将来健康被害があった場合に健康に働ける人が少なくなる。
いずれ経済破綻が訪れて、その時にはもう手遅れ。

本当の終わり。


原発事故前、被曝していい放射線の量は、国際基準と同じ  年間 1ミリシーベルト だった。

事故後、文部科学省が子どもたちに与えて「安全」とした数値、 年間 20ミリシーベルト。

安全基準が20倍になるってどう言う事?

20倍で安全なら、最初からその数値で良かったのでは?


「年 20ミリシーベルト」ってどんな数値?

20ミリの四分の一、「年 5ミリシーベルト」は「放射線管理区域」と同等。

「放射線管理区域」って?

18歳未満立ち入り禁止。
専門の知識を持つ、放射線業務従事者しか入れない区域。
その中では飲み食い禁止。
腕まくりさえ禁止。

その四倍の数値を子どもに与え、生活をさせ「安全」と言い切るこの国。

おかしくない?

20ミリシーベルトの四分の一、「年 5ミリシーベルト」って、どんな数値?



26年前、旧ソ連のチェルノブイリで原発事故があった時、

「強制移住」させられたのが

年 5ミリシーベルト

子どもは大人に比べて、放射性物質への影響は3倍~10倍と言われている。

その子どもたちに対して 年 20ミリシーベルトでもOK!と言うこの国。

狂ってる、としか言いようがない。

子どもは、この国の未来だよね?

子どもを汚染のある場所から動かそうともせず、もう事故は終わった、と振舞うこの国は将来を諦めてる。

自分の生きてる間だけ何とかなれば、自分がこの仕事についてる間だけ誤魔化せれば、って大人たちがこの国をコントロールしてる。

このままじゃ、殺される。

覚悟はできてる?

まだまだこの国が狂ってるって気づける事、いっぱいある。
一気に書くと読む気失せるでしょ?笑

毎回の更新で伝えるね。

絶望的な今を変えるのは、若い人たちのエネルギー。

鍵を握ってるのは、皆さんです。

この国の未来は一人ひとりの手のひらにある。

どうかそれを握り潰さないで。

声を上げて立ち上がろう。

未来を取り戻そう。

自分は無力だ、意味がない、と思わないで。

あなたが変われば世の中は動く。

今日から僕と、このブログを通じて繋がってくれませんか?




コメント




1 ■何とも複雑で

直ぐには答えは出せそうにもないようです♪総合的に考えると♪簡単には♪それは私の考えではありませんが♪原発にしろ♪事件♪事故♪病気♪災害♪など♪人間の未来は不確実です♪何で人生変わるか♪何で人生終わるか♪誰にもわかりません♪その時はその時と♪気楽に過ごす♪それが私のスタンスです♪沢山勉強されている山本太郎さんには♪大変無礼かも知れませんが♪お許し下さい♪
その時はその時 2013-03-12 21:15:20 [コメントをする]

2 ■無題

山本さんの発信力にはいつも敬服しています。

僕も原発は要らないと思います。
原子力の技術は未熟です。
それでいて我々の生活を現に破壊しています。
そのような技術に手を出さないことも人類の英知だと思います。
イーダ 2013-03-13 17:26:27 [コメントをする]

3 ■無題

こんばんは。10年以上前から、山本さんが出るテレビチェックして見ていました。話されることや行動、好きでした。

原発…以前、山岸涼子さんという少女漫画家が、「パエトーン」という漫画に、(もうだいぶ以前の漫画ですが)原発の危険を、具体的に描かれていました。将来的に、いいわけがない危険なものなのが分かりました。
また、チェルノブイリの募金を毎月続けたり、写真展に行ったりしてました。
結婚相手が広島出身ですが…広島を描いた画家さんが、「核爆弾は、原発に姿を変えた」と言ったとか…。
原発は無くした方が良いと思うのですが…そう感じている方は多いと思いますが…何が出来るのかなあと思ってます。
佐々木 2013-03-18 23:00:08 [コメントをする]

4 ■いまがその時だよ、頑張って自分の道を選んで

ビックリするような情報統制の中、山本太郎さんをはじめ沢山の大人たちが、捨て身の覚悟で本当のことを市民に伝え、警告を発し続けてくれたおかげで、健康被害を過小評価せずにすみました。
一個人においては、運命論を選ぶのももちろん自由だと思う、だけどね、国や学校や家族は、あなたとその子孫の五体満足を決して見捨ててはならないし、自分の目先の利権なんかで他人を売ってもいけない。
今、この国で生きている大人や子供たちに皆に、正しい情報と余生の選択の自由を与える、それを山本太郎さんら大人たちが、原発事故後一生懸命に発信し続けてくれた内容だと思うのです。
GYAOでも「サバイバル・ジャパン~3.11の真実~」というドキュメンタリが放送中です。海外の視点から観た原発事故の内容でした。興味のある方は観てくださいね。
るい 2013-03-20 01:43:49 [コメントをする]

5 ■確かに今の日本は、狂ってる!!

立ち直るかどうかも不明
山本太郎さんの勇気のある行動を、
見習わなければなりません!!
この場を借りて、
よろしくご指導よろしくお願いします!
時信利夫 2013-03-30 10:44:43 [コメントをする]

6 ■無題

今、南大隅町の選挙の車に乗っているのをみました(о´∀`о)
田舎の南大隅町を応援してくれているなんて感激です。
また家の前にきたら家から出てきます!
るく 2013-04-09 10:42:48 [コメントをする]

7 ■はじめまして

はじめまして。

私は、福島県南相馬市原町区
という所に住んでいる者です。

山本太郎さんの発言、私も同じ気持ちです。

ちなみに、福島第一原発から21キロの所に住んでいます。

最近は、子供たちが少し戻ってきています。

大丈夫なのかなと、いつも思います。

国と東電は何を考えているんだろうと、複雑な気持ちで見ています。

ろくな除染もせず、憤りしています。

最近では、南相馬市の現状もテレビもしなくなってきました。

賠償もどんどん削られ、生活もままならず、私はストレスで色んな病気になってしまいました。

仕事も、福島県と言うだけで断られてばかりで、貯えも無くなり、死にたい気分にもなってきました。

仕事なくなり、病気になり、賠償もあ

悔しくてたまら
ぽっか 2013-04-16 08:37:11 [コメントをする]

8 ■応援してます

太郎さんの捨て身の行動力、真直ぐな姿勢に勇気をもらっています。
原発は要りません。
大事な未来ある子どものために、豊かな自然を取り戻していきたいです。
私も、頑張ります!
こつぶ 2013-04-28 18:47:45 [コメントをする]

9 ■こどもたちのために。

己さえ面白く楽しくよければいいと思う人間、沢山いるでしょう。
けれども、命のリレーはまだまだ続きます。
未来の日本人のためにも、動植物のためにも、美しく豊かな日本をこれ以上汚すわけにはいきません。
頑張りましょう!

なぁ 2013-04-28 18:54:40 [コメントをする]

10 ■無題

やったぁ


なまか♪(*^^)o∀*∀o(^^*)♪
†αω† 2013-04-28 19:04:17 [コメントをする]

11 ■ファイトマン!

公式アメブログ開設おめでとうございます!

いつもありがとうございます
多治見にも来ていただき感謝です。

これからも、沢山の国民に大切な事を伝えて下さいね。

そして、次は無所属で立候補お待ちしています!

日本を変えるのは、国民のみしかいません。
その代表になって下さいね。

期待しています。
Nanriko-Nanri 2013-04-28 19:05:10 [コメントをする]

12 ■応援させていただきます。

私は若者ではありませんが、山本さんの行動力、実直さ、尊敬してます。
日本の未来を想うと、我が子たちに申し訳ない気持ちになりますが、山本さんをみるとまだまだ日本も捨てたもんじゃないっ!と希望を頂けるので感謝してます。

これからも、お身体にお気をつけてご自分の信じる道を突き進んで下さい。
とむ 2013-04-28 19:34:57 [コメントをする]

13 ■子を持つ親として

汚染と向き合って戦っていきましょう。
離れた地域から出来ることは限られていますけど、子供たちの未来を守るのは私達 大人の責務です!

利権>生命 この体制を崩す!
これしかありません!
山本さん 頑張りましょう!!
すずめ 2013-04-28 21:03:49 [コメントをする]

14 ■無題

みました。
雄飛 2013-04-28 22:55:05 [コメントをする]

15 ■東京の汚染

のこともばっちり書いてください!!

お願い異体します!!
マコ 2013-04-28 23:07:43 [コメントをする]

16 ■太朗さんが

NHKやテレビでコメンテーター等のお仕事が出来るようになるのは、この先一体いつになるんだろう。そうなる日が一日も早く来て欲しい。今のテレビや大手マスメディアは完全に1%の人の利権の為99%の人を洗脳する道具そのものとなってしまった。ジワジワとネットまでも規制をするような動きもあるようで、さらに放射性物質による汚染により正に生き地獄。一人一人が問題意識を持ち勉強して自分の命を守るために行動を起さなければこのまま日本は終わるんだろうと思う。大多数の日本国民が放射性物質を舐め過ぎ。無知は自分の命を縮める。
しろくま 2013-04-28 23:12:31 [コメントをする]

17 ■無題


20代の若者です。

太郎さんのブログ、
わかりやすくて
考えが深まります。

僕は小さい頃から
あまりメディアが好きでありませんでした。
嘘を平然と流すことがあるからです。

大学に入り、
福祉を学び始めてから
様々なことがより強く疑問に思い、
それからボランティアなどに
力を入れてきましたが、

震災もあり、
いろんな情報が溢れる中で
どれが本当の情報なのか、
情報に触れれば触れるほど
周りがあっけらかんとしてるほど
迷い込んでしまっています。

太郎さんの情報も一つに変わりませんが
説得力を感じます。
またの更新を心待ちにしています。


じん 2013-04-28 23:17:15 [コメントをする]

18 ■読みますとも~

子供達が丈夫に大人になり孫も育って欲しい 親なら誰でも当たり前の願いですからね。その為なら食べ物や水や空気に皆で気をつけて、より良くなろう、なりたいって思うのがそんなにいけない事なのかとも思う二年でした。
☆☆M☆☆ 2013-04-28 23:24:23 [コメントをする]

19 ■サウスウインド

こんばんは。
山本氏の行動に全面的に応援してます。考え方もとても同感します。「生活の党」と一緒に闘う事に期待してます。まずは数を集めなくてはなりません。まずはよろしくね。
サウスウインド 2013-04-29 00:06:15 [コメントをする]

20 ■はじめまして

原発事故の被害者の一人です。テレビなどで拝見し、強いなと感じてみてました。私なんかは、被害者ですが、ボヤくことしかできません。何かしようなんて元気ないし…
ゆめ 2013-04-29 00:13:42 [コメントをする]

21 ■ブログ

太郎さんへ

いつの間にやらブログ始めてたんですねっ
読者登録しました\(^o^)/
えつこ 2013-04-29 00:25:22 [コメントをする]

22 ■ブログ

太郎さんへ

いつの間にやらブログ始めてたんですねっ
読者登録しました\(^o^)/
えつこ 2013-04-29 00:26:55 [コメントをする]

23 ■放射能の基準値?

福島県伊達市の学校給食に地元で取れた筍を竹の子御飯にして出すそうですが、
此れって犯罪では無いですか?やめさせて欲しいです!
太郎さん応援して居ます!
HaGeOYaZi 2013-04-29 01:47:14 [コメントをする]

24 ■勇気づけられました

山本太郎さん、ブログ始めてくれて、ありがとうございます。
わかりやすい言葉で今の現状を説明して下さいました。
未来に対して疑問に感じること、人間でればあるのは当然です。
心配ないよと国に言われても、どんなことであれ、日本に住む一人一人の人達が、納得する国の決まりを作っていくのが政府の仕事…。
これ、おかしいんじゃない?ってこと、みんな、思っているのに、なんとなく、まぁいっか、で済ましてきた私も含め今の国民…。
山本太郎さんが、声を上げ始めてくれたおかげで、
ちょっと待って、おかしいんじゃない?、
それってどうよ?大丈夫なの?
って、みんなが声を上げ始めてくれたら…、
そう、願わずにはいられません。
私達の小さな声でも、積み重なり、響きあい、共鳴しあって、やがて誰も無視できなくなるほど、大きな声になっていくように、頑張りたいと思っています♪
梅茶 2013-04-29 09:00:07 [コメントをする]

25 ■これからのブログを楽しみにしています!

山本太郎さん!行動力が凄いですね!
ほんと素晴らしいです。
わかりやすい文章と、ターゲットを絞った内容は、素晴らしい(^O^)/
たしかに、今の日本は崖っぷちですね。
原発、放射能対策は最優先ですが、TPP、憲法改正、自民党徴兵制案、アベノミクス、領土問題など問題だらけ( ; ; )
山本太郎さん!身体を大切にご活躍くださいね!応援しています!
なかの安久 2013-04-29 10:04:06 [コメントをする]

26 ■共感しました‼

正にそのとおりだと思う!
あの原発事故も他国で起きた遠い話のようになっている風潮があるけど、国民いや世界中の人間一人ひとりがもっと真剣に考えなきゃならないんだ。
微力ながら応援させてもらいますっ‼
頑張れ 山本太郎‼‼!
さかじゅん-23 2013-04-29 10:08:26 [コメントをする]




頑張ってほしいですね!



世の中 

小さな力を結集すれば

この腐った世の中を少しでもかえられると信じています


一番の敵は

権力やお金を持った人たちではなく

世の中に対して

無関心・あきらめ をもってしまう

我々 庶民・・・

なんでもいいので

自分ができることから

やっていきたいですね。






  



テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

新100ドル札、10月に流通開始

2013.04.29 12:03|政治・経済
MU(ムー)のブログさんより転載


新100ドル札、10月に流通開始



新100ドル札、10月に流通開始へ (WSJ)

デザインを一新した新100ドル札の流通が今秋ようやく始まる。
新100ドル札の製造は、印刷上の不手際によって2年間遅れていた。

米連邦準備制度理事会(FRB)は24日、新100ドル札が10月8日に発行されると発表
した。新100ドル札には、いくつかのセキュリティー機能が採用されている。
3次元(3D)の青いリボンを紙に織り込むほか、色が変わる「自由の鐘」の絵を入れる
などで、偽造をさらに難しくする狙いがある。

また、現行の100ドル札と同様、ベンジャミン・フランクリンの肖像画が印刷される。
新100ドル札のデザインは2010年4月に最初に公開され、当初は11年2月に流通が
始まる予定だった。

しかし紙に関する一連の複雑な要素があり、紙を印刷機にかけると、それが原因で
しわが発生した。財務省印刷局はそれ以降、問題の解決に向けて取り組んだ。
その結果、印刷の出来栄えが湿度、再生紙の含有分、紙の経年といった諸要素から
影響を受けることを突き止めた。

印刷局の広報官ドーン・ヘイリー氏によると、複雑なセキュリティー機能のために紙が
波打つようになったため、印刷機に紙を挿入する手法の変更を余儀なくされた。

今は、紙を印刷機にかけても、最低0.003インチ(約0.08ミリメートル)のしわがあると
はじかれるようになっている。品質管理を支援するのは4台の高精細カメラで、
生産ライン上を進んでいく紙を検査するという。印刷はワシントンとテキサス州フォート
ワースの2施設で行われる。

ヘイリー広報官は「われわれはフル生産を再開しており、流通が始まる頃には国内外
の需要に見合うだけの新100ドル札が準備できると確信している」と述べた。
FRBは、需要に対応するため、発行の初日までに36億枚、つまり3600億ドル相当の
100ドル札の印刷を終える計画だ。

新100ドル札に印刷される署名は、ルー財務長官のものではなく、ガイトナー前財務長官
のものになる。これは、今年の財務長官の交代前に既に印刷版が作られていたからだ。
印刷局の広報担当者は、ルー財務長官の署名入りで初めて印刷されるのがどの紙幣に
なるのかは未定だと述べた。

FRBの広報担当者によると、現在、90億枚近くの100ドル札が流通しており、うち実に
3分の2ほどが米国外で保有されている。100ドル札は流通地域が最も幅広く、国外で
最も偽造されている種類でもある。

FRBの12の地区連銀は10月8日から新100ドル札を金融機関に提供する。
旧紙幣は銀行を通じて最終的にはFRBに回収され、破棄処分される。
財務省印刷局のヘイリー広報官によると、100ドル札の寿命は15年くらいだという。

新機能のセキュリティーリボンには鐘の絵と数字の100が刻まれており、紙幣を動かすと
それが動いて見える。自由の鐘の絵は、紙幣を傾けると色が赤銅色から緑色に変化し、
インクつぼの絵の中に消える。FRBは当初、新100ドル札を11年2月10日に発行する予定
だった。

-------------------------------------------------------------------------------

あぁ、とうとう正式なニュースで発表されました。10月に新100ドル札流通です。

その前にデフォルト宣言、デノミでしょう。9月まで引っ張れますかね?

もうちょっと前じゃないかしら?まぁ、どっちにしても大変な事態になりますよ。






  



テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

5千円札リニューアルへ

2013.04.29 11:02|政治・経済
朝日新聞デジタル


5千円札リニューアルへ スマホでお札識別するアプリも



464545478787879898989.jpg


 財務省と日本銀行は26日、目が不自由な人がお札を区別しやすくするため、5千円札を改良すると発表した。お札の左下に貼ってある透明なシールの面積を6割ほど大きくし、指で触ったときに5千円札だと分かりやすくする。また、年内には、お札の種類を識別するiPhone(アイフォーン)向けアプリの無料配信も始める。カメラでお札を撮影すると、音声で「5千円です」「千円です」などとお札の種類を教えてくれる。

 現在発行している4種類の紙幣(1万円、5千円、2千円、千円)のうち、1万円と5千円は左下に透明なシールが貼ってあるが、大きさがほぼ同じで、視覚障害者から「区別しにくい」との声が出ていた。5千円札は今年3月末で5億枚以上流通しており、来年度以降、順次新しいお札に取り換える。







  



テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

五千円札の謎を追え!(旧札)

2013.04.29 10:55|政治・経済
EiKANさんより転載


五千円札の謎を追え! (旧札)



505a7ec2-s.jpg


五千円札にはちょっとした謎が存在する。

自分自身が知ったのはごくごく最近、飲み会でのこと。
友人が唐突にしゃべりはじめた。

◆「そういえばさぁ、五千円札ってちょっとオカシイよね。」

「??!なんで?ふつーじゃん。」

◆「ふつーじゃないんだな、これが。よく見てみなよ、表。この世界地図の一部。なんでこんなレイアウトなんだよ。」

あー言われてみれば確かに。
確かに日本国の五千円札をレイアウトするとして、こんな異様なバランスの配置にはしないだろう。
日本が端っこ。
アメリカも端っこ。
そして中東が写っていない。

言われてみればだ。
小さいころに小さな違和感を覚えたことを思い出す。

◆「日本国の皇室の象徴って菊紋だよね。」

「うん。」

◆「ココさ。なんで菊紋が真っ二つなんだ?異様だろう、これ。」

「!!」

・・・確かに。きれいに真っ二つなのである。

◆「そしてこの割れた菊紋の間に・・・目が存在してるだろう。」

「どこどこ?この日銀のマークのこと?」

◆「いや、その下、よーくみてみなよ。」

「うーん。。。確かに見えるかも。」

正直あまり目は良くわからなかったが、確実に菊紋は紛れもなく割れている。
これも言われてみればだ。


◆「そして裏側。」

「おう。」

◆「富士山が写っているでしょう。いわゆる逆さ富士。」

「うん。」

◆「よく見てみ?その水面に写っている富士山。」

◆「逆さにしてみ?」

◆「ほら・・・ぜんぜん富士山と違う山だぞ!!」

「!!!」
ゾッッ・・・

久しぶりにぞっとした。
確かに富士山とは異なる山が印字されている。

そこには日常で当たり前だと思っていたものが全然別のものとして存在していた。
紛れもなく別の山に見えるのです。

まず、この友人は話に引き込むのがうまい。
そして当たり前が当たり前ではなかった事実。
そしてそれは水を通してひっそりと浮き上がっているものという状態。

この要素が総合的に、しかも一瞬にして私を夕涼み状態に持っていったのです。


このネタ。
割と有名で、調べてみるとさまざまな憶測が流れています。
富士山の代わりに水面に移っているのはシナイ山だとか、レイアウトはユダヤのうんぬんかんぬんだとか、菊紋を割っているのはナントカの目だとか。

私自身は憶測や噂を鵜呑みにしているわけではありませんが、確かに違和感のあるレイアウトだとは思います。
それは確かなのですね。

興味がわいてさまざまに調べてみたのですが、結局のところ、どのソースでも最後には謎のままとされてしまっているようです。

うーん。
不思議の謎いっぱいですね。

似たネタとしてアメリカの1ドル札の話もありますが。
興味のある人はネット等で調べてみてください。






  


テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

五千円札の隠し文字

2013.04.29 10:50|政治・経済
マイクロスコープブログさんより転載


五千円札の隠し文字



(表面)

5000yen_omote_ni-580x435.jpg

いよいよ、お札の隠し文字シリーズもこれで最終です。
最後は、5000円札の表側です。


上の写真「ニ」からスタートして、次が「ホ」。
5000yen_omote_ho-300x225.jpg

そして、最後に「ン」
5000yen_omote_n-300x225.jpg

(ンはうまく周りの模様に溶け込んでいて見つけにくいですが、分かりました?)

では最後に、それぞれの場所です。
5000yen_omote-300x225.jpg


(裏面)

5000yen_ura_ni-580x435.jpg

樋口一葉の5000円札の隠し文字を見つけてみました。
上の写真は「ニ」です。

続いて「ホ」
5000yen_ura_ho-300x225.jpg

で、最後に
「ン」
5000yen_ura_n-300x225.jpg

「ニ」なんてかなり上手く隠れていると思いません?
ちなみにこんな場所で発見できます。
5000yen_ura.jpg







  


テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

5千円札の呪い

2013.04.29 10:44|政治・経済
 もりりのひとりごとさんより転載


5千円札の呪い



私ね、今の5千円札大嫌いなんです。なんで樋口一葉なんですか?

 樋口一葉って、文才はともかくとして、その生涯を通じて経済的には困窮し続けた人でしょう?なんでそんな人がお札なんですか?お札に描かれた肖像画も貧乏臭いし、5千円札を持っているだけで自分にも貧乏が伝染しそうな気がするくらいです(笑)。

 今の日本の景気の悪さもこの5千円札の呪いとちゃいますか(笑)?2004年に樋口一葉が5千円のデザインに採用されたみたいですが、それ以降日本の経済は低迷しまくりと違いますか?

 ホントに樋口一葉を紙幣のデザインに採用した人のセンス、感覚を疑いますよ。豊かさの象徴、希望の象徴となるべき紙幣に生涯貧乏のまま死んでいった樋口一葉を持ってくるとは・・・、信じられませんね。

 そりゃ日本が豊かになるわけないわ、貧乏神が紙幣のデザインだもの。きっと5千円札が樋口一葉である限り日本の景気が良くなることはないと思いますね。早急にデザインを変えるべきです。

 ・・って言っちゃうと言いすぎ(笑)?






  


テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

なぜお金持ちは財布に5000円札を持つのか

2013.04.29 10:30|未分類
エキサイトニュースさんより転載


なぜお金持ちは財布に5000円札を持つのか




President_8230_1_s.jpg今より収入が少なかった税理士駆け出しのころ、私は自分が使うお金を10日に一度、3万7000円ずつ下ろしていました。
多くの人は手持ちのお金が足りなくなるとその都度、適当な額をコンビニやATMで引き出しますが、それでは自分がどれくらいのペースでお金を使っているのか、わからなくなってしまいます。
10日なら10日という決まった間隔で下ろす定額のお金は、いわばその期の予算。家計簿を作って細々と記録しなくても、10日間に使っていいお金の大枠を決め、その中でやりくりするというスタイルが身につきます。
なぜ中途半端な額なのかというと、私は成功している人たちから、「5万、10万といったマルが揃う金額を下ろす人は、お金を失いやすい」と聞いていたからです。
3万7000円のうち、1万円札は1枚だけ。4枚を5000円札、7枚を1000円札として、どれも極力、新札にしてもらいます。財布の中では、お札は必ず1万円札、5000円札、1000円札の順に並べ、お札の向きもすべて揃えておきます。そうすることで「どのお札が何枚残っているか」という現在の所持金の状況が頭に入りやすくなります。
お金を使うときは、必ず少額のお札から。1000円札が7枚あれば、7000円の買い物をするときも、1万円札や5000円札は出さずにすべて1000円札で出します。


■1万円札は最後の砦
こういうとき「1万円札が残ってしまうと、後で少額の買い物がしにくくなる。今のうちに崩しておこう」と考えて、1万円札から先に使っていく人もいます。これは「手軽にお金を使いたい」という心理の表れです。
私の場合はあえて不便にして、無駄なお金を使いにくくしているのです。あくまでルールを守って、1000円札がなくなってから5000円札を使い、4枚の5000円札をすべて使ってから初めて、最後の1万円札に手をつけます。そうすることが、1枚だけの1万円札を最後まで崩さずに守ることにつながるのです。
私の考えでは、お札にはそれぞれの性格があって、もっとも少額の1000円札は流動性が高いフロー型の紙幣です。逆に高額紙幣である1万円札は入りにくく出ていきにくい、ストック型の紙幣です。
5000円札については、私は多くのお金持ちから、「1万円札が使われないよう真ん中で支える存在」という話を聞いています。1万円札は大将にあたり、5000円札はそれを守る家臣という感覚です。
下ろしたお金を10日の間に徐々に使っていくと、まず1000円札がなくなり、次に5000円札が1枚また1枚と崩れていきます。…

「お金がなくなっていく」という実感が生まれ、自然に「最後の砦の1万円札を守らなければ」という気持ちになってきます。5000円札はそのための、いわばブロック型のお札なのです。
5000円札が早々になくなってしまうと、「少しお金を使うペースが早すぎるんじゃないか」と感じ、逆にお金を下ろす日になってもまだ1万円札が残っていると、「大将を守りきった」という満足感、達成感が湧いてきます。
このようにお札の下ろし方や使い方に自分なりのルールをつくることは、お金に意識を向けるためのよいきっかけです。
お金に好かれる人たちはみな、お金にしっかりと意識を向け、自分なりの使い方のルールを必ず持っています。お札の性格づけのように、自分でつくったルールをゲームのように楽しみながら、お金の使い方をコントロールすることで、自然とお金に好かれ、お金がたまる行動パターンが身についてくるのです。
----------
税理士 亀田潤一郎(かめだ・じゅんいちろう)

学生時代に父の会社が倒産。その経験から「中小企業の経営者をお金の苦労から守りたい」と、苦節10年を経て税理士に。『稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?』などの著書がある






 




テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

5000円札でマジック!?

2013.04.29 10:20|未分類
5000円札でマジック!?









  


テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

こっそりバカにされている? 業界で使われる隠語を知ろう!

2013.04.29 10:03|未分類
ブッチNEWSさんより転載


こっそりバカにされている? 業界で使われる隠語を知ろう!



21545645445444444845.jpg




▲雑学知識として、この本はかなり良い本。「業界裏用語辞典」(Amazon)


電車内で女性が痴漢されているのを見た。こういう人は意外と多いかもしれない。ニュースでもたびたび見かけるし、満員電車に乗っていると、痴漢があってもおかしくないなと思ってしまう。しかし、痴漢を捕まえたという車内放送を聞いたことがある人はいないだろう。それもそのはず、電車内で痴漢が捕まった時に流れるアナウンスは
「線路内に人が立ち入りました」となるからだ。

なるほど、これでそんなに線路に人が入り込むの? という長年の疑問が解消。これは隠語であると同時に、まだ刑が確定していないので、痴漢と断言してしまうと後々めんどくさいことになるのを避けるためでもあるという。

他にもタクシー無線の「忘れ物」は犯罪者を意味する隠語だという。タクシーの運転手さんが「忘れ物を保管しています」と無線をしていたら、あなたは犯罪者だと思われている。タクシーの運転手さんは長年の経験からワケありの乗客がわかるのだそうだ。また、「工事中」は警察の検問を指す。検問を避けて走りたいタクシーは「○○町○丁目工事中です」と無線で連絡しあって、検問にかからない道を選択しているそうだ。

デパートの館内放送はもっとスケールが大きい。「ひまわり会からのお知らせです」「赤い箱が届きました」は爆弾が仕掛けられた時の緊急放送。これを聞いたらすぐにデパートから避難しよう。また小田急デパートの「小田守様より連絡です」、西武デパートの「西武守(にしたけまもる)様より連絡です」は火事などの事件が起きた時のアナウンスだ。こちらも速やかにその場から離れよう。

(文・編集部)

※隠語は随時改定されることがあり既に使われていない場合もあります。










テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

ハローワークに潜む“カラ求人”の実態

2013.04.29 09:01|政治・経済
ネタりかさんより転載


ハローワークに潜む“カラ求人”の実態



これもアベノミクスのおかげなのか、有効求人倍率も上昇気味だという。厚生労働省は、「企業の中には景気回復を期待して、求人を増やしているところもある。今後、さらに増えていくことを期待している」とコメントしている。

 しかし、その頼りにすべきハローワークの実態は、完全に“ブラック化”しているようなのだ。
 「求人倍率上昇のからくりは『カラ求人』ですよ。ハローワーク職員は公務員だから、クビにできない余剰人員を抱えている。これを“求人開拓員”に仕立て上げ、地元企業を回らせて『無料だから』と、求人する気もない企業に求人を勧めているのです」(地方紙社会部記者)

 仕事を選ばなければ、再就職口はいくらでもあるといわれるが、これも実態とかい離している。
 「よく、介護職の人材が足りないといわれます。相談窓口に行くと必ず『資格ある?』と質問されますが、中年男性ではヘルパーの資格を持っていても需要はありません」(中年求職者)

 さらに、流行りの“ブラック企業”も求人に紛れ込んでいるという話もある。厚労省職業安定局では、こうした“違法行為”が判明した場合、適宜ハローワークから指導が行くと説明しているが、罰則規定はない。同局のスタンスは、おおむね「ハローワークに求人を出す企業は、人を採用したいからという以外に理由はないのでは。応募する側の問題もあるのではないか」というものだ。
 実際に就職が成立した「充足率」は、今年1月の実数では17.6%と、採用した会社は4~5社に1社という状況だ。にもかかわらず、厚労省は求職者側の問題との認識なのである。

 生活保護者が一向に減らないわけだ。






  


テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

甲状腺県民健康調査 4観察項目を省略していた!

2013.04.29 07:50|原発・放射能・原子力
低気温のエクスタシーbyはなゆーさんより転載


甲状腺県民健康調査 4観察項目省略



☆福島、子供の甲状腺検査 高まる県民の不信
(毎日新聞。4月22日)

http://mainichi.jp/opinion/news/20130422ddm003040127000c.html

http://www.asyura2.com/05ban/ban5/msg/817.html

実は県の検査では、甲状腺検査で一般的に実施される12の観察項目のうち4項目を省いている。だが、県はこのことは公表していなかった。

(略)

日本乳腺甲状腺超音波診断会議などが編集する「甲状腺超音波診断ガイドブック」は、観察項目として「甲状腺の形状」「大きさ」など12項目を挙げる。検査を委託される県立医科大は住民説明会でこのガイドブックを引用し「高い精度の検査だ」と強調してきた。しかし、実際には「甲状腺の内部変化」「血流の状態」など4項目を実施していない。

                ↓


2013年4月24日

福島県立医大放射線医学県民健康管理センター

平成25年4月22日の毎日新聞報道について

http://fukushima-mimamori.jp/urgent-info/2013/04/000092.html

4月22日付毎日新聞報道において、県と県民健康管理センターの実施する甲状腺検査について、スピードアップのために本来必要な検査項目を故意に外しているかのような報道がなされました。

これは事実に反しております。このような報道は、県民健康管理調査事業における甲状腺検査の精度管理について県民の皆様の信頼を不当に損なうものであり、毎日新聞には強く抗議するとともに、訂正を求めております。

               ↓

297 名前:医療関係者α(WiMAX)
投稿日:2013/04/26(金) 21:46:27.99 ID:ezNKAYrq0
検査を受けた人間からの証言が出てきたら福島県立医大は終わりだな。




《備考》

☆資料は語る 1 ~「精密」はウソ?~甲状腺検査で観察項目を大幅省略 (ourplanet)

http://www.ourplanet-tv.org/?q=node/1577

しかし、OurPlanetTVの入手した2011年の資料によると、3分の1にあたる4項目が×印や線で消されており、ガイドブックに沿った診断が実施されていないことは明らか。入手した資料を公開する。

(略)

OurPlanetTVが入手した甲状腺診断検査に関する資料
(注:PDF)
http://www.ourplanet-tv.org/files/echo_pdf.pdf






  


テーマ:伝えたいこと
ジャンル:ブログ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。